日本史の新発見&発掘…歴史のニュース2022年総まとめ
🎍謹んで新春のお慶びを🎍
🎌 申し上げます🎌
皆様、あけましておめでとうございますm(_ _)m
本年も、「今日は何の日?徒然日記」をよろしくお願いします。
・・・てな事で、新年、1発めの今日は、昨年報じられた様々な日本史の発見や発掘のニュースを総まとめにして振り返ってみたいと思います。
ただ、いつものように・・・
ただの歴史好きである茶々の知り得るところのニュースでありますので、あくまで一般に公表&公開された公共性のある物である事、
また、私が関西在住という事もあっての地域性(他の場所のニュースはなかなか知り得ない)・・・さらにそこに個人的な好みも加わっておりますので、少々、内容に片寄りがあるかも知れませんが、そこのところは、「今日は何の日?徒然日記」独自の注目歴史ニュースという事で、
ご理解くださいませo(_ _)oペコ
1月 | ● | ホテル建設のため解体中の元新道小(京都市東山区)講堂で、講堂正面の舞台と背後の壁を取り壊したところ、鉄製の扉とコンクリート造りの空間が現れ、戦前に天皇の写真を安置していた「奉安殿(ほうあんでん)」跡が見つかりました。 終戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の奉安殿廃止の方針に従い、壁で扉を覆ったとみられ「当時、奉安殿がどのように処理されたかの史料は少なく、貴重な事例」との事。 |
● | 桜井市西之宮の県営住宅の建て替えに伴う調査で、見つかった水洗トイレの調査・研究から、藤原京(参照>>)の時代に、京内に外国人が住んでいた可能性があることがわかりました。 京内の水洗トイレ遺構としては8例目だそうです。 ![]() |
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2月 | ● | 群馬県高崎市の多胡碑(参照>>)周辺で行っている発掘調査で、裏面の文様が鳥頭のように尖った口先を持つ獣像が4つ配され、かつ国内で製造された「鳥頭四獣鏡系(ちょうとうしじゅうきょうけい)」と呼ばれる古墳時代前期(4世紀)の銅鏡1面が出土しました。 学術的な発掘調査では、群馬県内初の発見だそうです。 |
● | 青森県南部町で室町の戦国期に三戸南部氏が居館としていた「聖寿(しょうじゅ)寺館(じたて)跡」で、装飾品に使ったとみられる穴の開いたクマの犬歯が見つかりました。 動物の骨や角などでできた穴のある装飾品は北海道で発展したアイヌ民族文化の特徴とされ、実態が分かっていない本州と中世アイヌの関係を解明する手掛かりになりそうとの事。 |
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3月 | ● | 滋賀県文化財保護協会が、古墳時代の集落跡だった出庭遺跡(滋賀県栗東市)で、4世紀ごろの鍛冶工房とみられる建物跡が4棟見つかったと発表…集落遺跡から鉄製品が出土することは珍しく、小型の道具の製作や農耕具の修理が行われていたと考えられるとの事。 |
● | 「九尾の狐」伝説の「殺生石」が真っ二つに割れました。 殺生石は那須岳の斜面にある巨大な溶岩で、平安末期に九尾の狐が美女に化けて鳥羽上皇を殺害しようとしたところ、 陰陽師に見破られ、その後、退治されて石になったという伝説がある石で、松尾芭蕉が訪れて詠んだ句もあり、町の観光名所となっていました。 |
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● | 大阪府藤井寺市の津堂遺跡で、古墳時代前期末から中期初頭(4世紀後半)の掘っ立て柱建物跡7棟が整然と並んだ状態で見つかりました。 場所は、世界遺産百舌鳥・古市古墳群で最初の大王墓とされる津堂城山古墳の北西約1kmで時期も同じである事から、「存続したのは短期間であるため古墳造営時に資材や食料を保管した倉庫群ではないか」と推定されています。 |
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4月 | ● | 富山県高岡市の寺で近藤勇(参照>>)が着用したといわれる“幻の甲冑(かっちゅう)”が発見されていたことが分かりました。 兜は非常に重厚なデザインで、頭を守る部分は鉄製で重く、黒色の漆が塗られ紺色の糸で結ばれた鎧の背中の部分には、旗を立てる「旗通し」も見られ、およそ150年が経過しているとは思えないほど、きれいな状態だそうです。 |
● | 平安末期から鎌倉期にかけ活躍した歌人=藤原定家(参照>>)による源氏物語の注釈書「定家筆源氏物語奥入」(国宝)の欠損部分の一部が東京都内で見つかり、書体の特徴などから本物と確認されました。 「奥入」は、定家が所持していた源氏物語(全54帖)の各巻末に記した注釈の部分だけを切り取って集め、1冊にまとめたもので、国宝の奥入には10ページ以上の欠損があるとみられていますが、今回見つかったのは24帖「胡蝶」に注釈を付けた1ページ。 |
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● | 高知県内3つの遺跡で出土していた板状の石6点が、弥生時代の方形板石硯(ほうけいいたいしすずり)とみられることが分かりました。 四国で初めての確認で、弥生時代に県内で文字が使われた可能性を示す貴重な資料となります。 発見された硯は、現在の硯とは異なり平たく、長方形や台形に近い形をしています。 |
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5月 | ● | 仙台藩祖伊達政宗(参照>>)が描いたとされ、1928年に仙台市で開かれた東北遺物展覧会に出品後に行方不明となっていた「達磨図」が、約90年ぶりに市内で見つかりました。 政宗作とみられる絵が見つかったのは、2015に宮城県塩釜市の旧家に保存されていることが分かった「梅ニ雀」に続き2例目だそうです。 |
6月 | ● | 忍者の里として知られる滋賀県甲賀市で、これまでに知られていた忍術書の原典とされる「間林清陽(かんりんせいよう)」の写本が新たに見つかり、専門家は「当時の忍者の姿を知る上で、大変意義のある発見だ」と話しています。 「間林清陽」は、これまで忍者の手引き書として世に出回っていた「万川集海(ばんせんしゅうかい)」(参照>>)とよばれる忍術書の基になるものとされ、その存在や内容が確認されたのは初めてです。 |
● | 岡山大は、約1500~1600年前の人骨に残っていた歯石を特殊な顕微鏡で観察し、デンプンの粒子を見つけた事で、「古墳時代の人は炊飯した米を主食にしていたかもしれない」と発表しました。 当時の人が、炊いた米を食べていたことを科学的に裏付けた結果となります。 |
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● | 本堂である国宝「根本中堂」で大規模な改修工事が進められている大津市の比叡山延暦寺で、根本中堂に安置されていた十二神将と梵天、帝釈天の14体の仏像を詳しく調べたところ、内部から制作した時期などを記した文章が見つかった事から、江戸時代に再建される以前=おそらく織田信長による焼き打ち(参照>>)を逃れたであろう貴重なものだったことがわかりました。 | |
7月 | ● | 京都府京丹後市にある奈良時代の靏尾(つるお)遺跡で、かけ算の九九が表裏に書かれた木簡1点が出土しました。 遺跡には当時の役所があったとみられていて、記載の個数が最多で、計算間違いや誤字も見当たらないため、役人が徴税の際の早見表に使っていた可能性があるとの事。 九九の木簡はこれまでに新潟や長野などで、約80点が見つかっており、今回の木簡は、片面に「九九八十一」「八九七十二」など九と八の段、もう片面には七~五の段が記されており、両面で計35個の九九が書いてあるそうです。 |
8月 | ● | 滋賀県長浜市の長浜城歴史博物館で、戦国武将の浅井長政が、近くにあった「大浦黒山寺」に宛てた1570年11月27日付の書状が見つかりました。 課税を免除して領地を保証する内容で、寺は長政と朝倉義景の連合軍が、同年6月の姉川の戦い(参照>>)で織田信長と徳川家康の軍勢に敗れた後に陣を張った経路にあり、兵や食料を運ぶ道を確保する意図があったとみられいます。 専門家によると「寺社を味方につけて信長に対抗しようとしていたことが分かる貴重な史料だ」との事です。 ![]() 姉川の戦い古戦場 |
● | 古墳時代初期(3世紀末)に築造されたとみられる前方後円墳が神奈川県小田原市内の住宅地で発見されました。 同市内で前方後円墳の発見は初めてで、県内でも海老名市の秋葉山3号古墳に次ぐ2番目の古さです。 専門家は「ヤマト王権成立直後の3世紀末の時点で、その勢力圏が神奈川まで及んでいたことを示す重要な証拠」と解説…文献史料がないため、具体的な埋葬者は不明なものの、ヤマト政権とつながりの強い地元の有力者とみられています。 |
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9月 | ● | 豊臣秀吉が建てたと伝わる国宝「妙法院庫裏」(庫裏は寺の台所=京都市東山区)の地中から、16世紀末ごろのものとみられるかまどの跡が見つかりました。 秀吉が1595年に近くの方広寺で大規模な先祖供養の行事を催した際、妙法院庫裏で僧侶約800人分の食事を用意したとされ、その時に、このかまどを使わせた可能性が高いとの事。 庫裏と秀吉の関わりはこれまで伝承のみで、正確な史料はありませんでしたが、両者の関わりを解明していくための手掛かりが発見された事になります。 |
10月 | ● | 奈良時代の女帝・称徳天皇と僧の道鏡(参照>>)が建立したとされる大阪府八尾市の 由義寺(ゆげでら )跡で、塔跡の下層から別の建物の基壇(土台)跡が見つかり、称徳天皇が一帯に平城宮の副都「由義宮( 西京=にしのきょう )」を造営した際に、塔を大規模に建て替えた可能性がある事が分かりました。 長きに渡って、史書「 続日本紀 」に登場する由義寺は「幻の寺」とされていましたが、前回の発掘調査で七重塔の基壇跡が発見され、今回の基壇跡は規模は小さいものの、塔か金堂の可能性があるとの事に加え、周囲に焼けた土が確認されていないことから、建物は火災で焼失したのではなく、解体されたと考えられます。 |
● | 一休さん(参照>>)ゆかりのゆかりの寺としても知られる京都の大徳寺で、国宝の建物の屋根裏から、大工道具の一つである「ノミ」が見つかりました。 現代で一般的な「片刃」ではなく左右両方に刃がある「両刃」で、400年前の創建当時の「宮大工の“忘れ物”では?」と考えられています。 |
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● | 江戸時代の俳人=松尾芭蕉(参照>>)が、江戸から京都や近江などに1年弱かけて旅した行程を直筆で記した初めての紀行文「野ざらし紀行」のうち行方が分からなくなっていた1巻が半世紀ぶりに見つかりました。 専門家によれば「長い紀行文に絵をつけた作品は大変珍しく、芭蕉は文字も絵もうまい」との事。 |
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11月 | ● | 奈良市大宮町4丁目の平城京跡で、奈良時代の大型建物跡が見つかりました。 過去の調査成果と合わせて、東西15m以上の建物が南北に2棟並んでいたと推定され、高位の貴族が住んでいた邸宅跡の可能性が高く、日本書紀の編さん責任者、舎人(とねり)親王(参照>>)の邸宅跡とも推定されています。 |
● | 吉野ヶ里遺跡で「権(けん)」と呼ばれる青銅製の重りが出土しました。 出土したのは円柱に傘をかぶったような形で、形状などから使われていたのは8世紀の奈良時代頃で、行政機関などでモノを測るための重りとして使われていたとみられるとの事。 この一帯では過去にも奈良時代の建物の跡などが見つかっていて、当時の行政の拠点である郡衙(ぐんが)があったのではないかと指摘されてきましたが、今回の発見によって、弥生時代が中心の吉野ヶ里遺跡は、奈良時代もこの地域の中心だったという可能性が高まっています。 |
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● | 三重県鈴鹿市徳田町の水深(みずぶか)遺跡で、6世紀中期の古墳の周溝や奈良時代の建物跡、鎌倉から室町時代にかけての火葬墓などが発見されました。 古墳時代には直径約14mの円墳があったと推測されるほか、奈良時代の掘立柱建物の遺構や各時代の土器や陶器も見つかり、鎌倉から室町時代にかけての火葬墓約40基のなかには、人骨や炭化した木が残っているもの、「開元通宝」など中国製の銅銭が発見されたものもあります。 |
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● | 津藩初代藩主の藤堂高虎(参照>>)が築いたとみられる江戸時代の津城(三重県津市)に、これまで「ない」とされていた天守があったことを示す絵図が発見されました。 書き込まれた情報の豊富さから、幕府に出すための下図とみられ、天守が存在した可能性が高まりました。 絵図は三重県川越町の個人がインターネットを介して古書店から入手し、三重大学教育学部の藤田達生教授の研究室に9月末に分析の依頼されたものだとの事。 |
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12月 | ● | 広島県福山市入船町2丁目の市道工事現場で、江戸初期に福山城の外堀と海をつなぐ運河の役割を果たしていた入川の石垣が新たに見つかりました。 |
● | 大阪府羽曳野市にある世界遺産の百舌鳥・古市古墳群のひとつ、峯ケ塚古墳(みねがづかこふん=5世紀末ごろ)で、「石見(いわみ)型」と呼ばれる巨大な木製品が出土しました。 これは、祭祀の際に墳丘の周囲に立てた「木製はにわ」とみられ、国内で出土した同型の木製品の中で最大との事。 被葬者は判明していないものの、その大きさから王級の人物の可能性が高いとか… |
こうして見ると、今年も様々な新発見がありましたね~
個人的に気になるのは、6月の…
比叡山延暦寺の根本中堂に安置されていた十二神将と梵天&帝釈天の14体の仏像を調べたところ、江戸時代に再建される以前のものであった事が分かり、織田信長の焼き討ちを免れた…云々のニュースですね。
私…個人的には、
以前に書かせていただいた通り、信長の比叡山焼き討ちは、伝えられるほど大規模な物では無かったんじゃないか?
(【信長の比叡山焼き討ちは無かった?】参照>>)
と思っている派なので、
「焼き討ちの業火の中て奇跡的に…」
というよりは、むしろ
焼き討ちが
「そんなに大規模じゃなかった」
事を裏付けてるような?…ま、あくまで信長推しに染まってる個人の考えですが、、、
また、弥生時代の硯も気になりますね~
日本に漢字を伝えたとされる王仁(わに)博士が渡来した(2月15日参照>>)のが応神天皇の時代(推定=西暦300年くらい?)とされていますので、果たして、それ以前の硯なら、どんな文字を書いていたのか?
ワクワクドキドキ…
でも、よくよく考えれば、
「文字が伝わったからこそ硯も伝わった」
と見た方が妥当ですかねwww
・・・にしても、またしてもありましたね~
ネットで見つけて買ったモノが、メッチャ貴重な絵図だったという11月の津城の話。。。
あるんですね~こんな事。
私も、ネット見てるとアレやコレやと時間を忘れてドップリ浸かるタイプですが、気概のある方は、やはり違いますよね~
貴重な物をズバッと見つけはるんでしょう・・・つくづく尊敬しますですww
・‥…━━━☆
てな事で、そろそろ、本気の「悪疫退散!」を願いつつ
…本年も、我がブログに、チョコチョコ遊びに来てくださいませ。
よろしくお願いしますm(_ _)m
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コメント
茶々さん、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
そして、今年も書状か発掘による歴史の新発見がありますように。
今年の発見ニュースは古代が多いですね。
私が一番気になった発見は、藤原京の時代に外国人が住んでいた可能性というニュースです。
古代日本の渡来人といえば、中国や、亡命百済人かその子孫というイメージが強いですが、ペルシャ人の役人といい、実際はもっとグローバルだったんだろうかと思いました。
で、今年の大河ドラマは家康だそうですが、家康も研究が更新されたから、そのあたりはどうするんだろうと色々思うところがありますが、
私個人は、長篠の戦いで鳥居強右衛門の自己犠牲が敵の武田家臣にも衝撃を与えたんだと同意しつつも、
その影で犠牲になった、奥平信昌の妻・おふうや信昌の弟の悲劇もドラマで流してくれたら思ってます。
尺の都合もあるし、信長秀吉家康の生涯は一年で表すことなんてできないので、多分望み薄ですが。
投稿: 禿鼠 | 2023年1月 5日 (木) 12時21分
禿鼠さん、明けましておめでとうございます。
>藤原京の時代に外国人が…
さすがに太平洋越えて…は難しいかも知れませんが、思ってる以上に遠くから来られていたのでしょうね~
今年も、たくさんの発見&発掘があると良いですね。
大河ドラマも楽しみです。
こちらこそ、よろしくお願いします。
投稿: 茶々 | 2023年1月 6日 (金) 03時47分
明けましておめでとうございます。
令和5年もよろしくおねがいいたします。
畿内の寺院にある「日本最古の個室トイレ」が、自動車の運転ミスで破損したこともありましたね。
NHK大河ドラマは今年で60周年なんですね。この間数えてみたら今年の「どうする家康」の33回目が、大河ドラマの通算3000回(日曜日放送の本編のみ。再放送・総集編・特別版・番外編ドラマの回数等は除く)となります。
投稿: えびすこ | 2023年1月 7日 (土) 11時07分
えびすこさん、明けましておめでとうございます。
>畿内の寺院にある「日本最古の個室トイレ」…
東福寺の東司>>の事ですか?
使用の時は、布的な物を掛けていたみていですが、個室ではなく、けっこうオープンな感じですけどねww
ま、これは新発見でも新発掘でも無いですし、殺生石みたいな経年劣化の自然崩壊でも、まして故意ではないので…
投稿: 茶々 | 2023年1月 8日 (日) 05時16分