日本一有名な陰陽師~安倍晴明の逸話集
寛弘二年(1005年)9月26日は、陰陽師(おんみょうじ)=安倍晴明(あべのせいめい・あるあき・はるあきら)さんがお亡くなりになった日。
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享年85だとか。。。
来年の大河ドラマ「光る君へ」では安倍晴明=あべのはるあきらと読ませ、ユースケ・サンタマリアさんが演じられますね~楽しみです。
ちなみに、現在陰陽師と言えば、何か占い師のようなイメージですが、この陰陽師は鎌倉時代から明治時代初めまで安倍氏流土御門家(つちみかどけ)が統括した陰陽寮(おんみょうりょう=暦の作成や時を測る&行事等の吉凶を担当した部署)に所属した、いわゆる公務員です。
安倍晴明はその祖という事になります。
15年ほど前の古いページでは、出生の秘密とされる人形浄瑠璃や歌舞伎の「葛の葉(くずのは)」のお話をさせていただいたり、彼が奥さんに隠れて一条戻り橋の下に式神(しきがみ=使いとする鬼神)を隠していた話なんかを書かせていただきましたが(2007年9月26日参照>>)、
そこでもお解かりのように、逸話は複数あるものの、実際の人物像となると、とにかく謎な人です。
てな事で、今回は、ひょっとしたら大河でも描かれるかも知れない、様々な逸話をご紹介します。
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幼少の頃、鬼を見た話
~今昔物語~
晴明は、幼少の頃、陰陽道を独占していた賀茂氏の長、賀茂忠行(かものだだゆき)に、天文道を習っていましたが、
ある日、師である忠行について下京のあたりに行ったときの事。
忠行は牛車にゆられ、晴明はその後ろを徒歩で歩いておりました。
ふと、前方を見ると、向こうからたくさんの鬼がやってくるのが見えました。
忠行は牛車の中で寝込んでしまっていて、その鬼どもに気づきません。
晴明があわてて、忠行を起こします。
忠行は、すぐに術を使って、自分や供の者たちの姿を隠して、鬼どもから見えないようにして、危機を回避する事ができました。
この日から、忠行は自分の術のすべてを晴明に教え始めます。
幼くして鬼を見た晴明に、陰陽師としての才能を垣間見たのでしょう。
やがて、忠行は、晴明に天文道を、息子の光栄(みつよし)に暦道を継がせる事にし、この時から陰陽道は、二流に分かれます。
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花山帝の頭痛を癒した話
~古事談~
花山天皇は頭痛に悩んでおりました。
特に雨の日はひどく、さまざまな治療をしましたが、いっこうに良くなりません。
晴明は、花山天皇に
「みかどの前世は、大峯山のある宿で亡くなった尊い行者である。
前世の徳によって、天皇として今の世に生まれたが、前世の髑髏(どくろ)が岩の間に落ちて挟まっているため、雨の日は岩がふくらみ間がつまるので、今現世でこのように痛むのです。
大峯にある首を岩から取り出して、広い場所に置いたならば、必ず治癒いたしましょう。」
と言い、髑髏のある場所まで指摘しました。
花山天皇が使いを出して調べさせた所、晴明の言った場所に言った通りの物があり、使者はその首を取り出しました。
それから、天皇の頭が痛む事はありませんでした。
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播磨の僧が弟子になる話
晴明のところにある日、播磨の国から、ひとりの老僧がやってきた時の話です。
「ぜひ、陰陽道を習いたい」
と、その老僧は言うのですが、晴明には、その老僧が自分の力を試すためにやって来たこと、連れている二人の童子が式神である事を、即座に見抜きました。
そこで、晴明は術を使って老僧の式神を隠してしまいました。
やがて、老僧は自分の連れていた式神がいない事に気づき、自分の思惑が晴明にバレていた事を察し、晴明を試そうとした事を謝りました。
「式神を使う事は、簡単にできるが、他人の式神を隠すなどという事は、並の陰陽師にできる事ではない」
と、すぐに、晴明の弟子になったという事です。
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寛晴(かんちょう)僧正のもとでの談笑の時の話
~今昔物語より~
~宇治拾遺物語より~
寛晴僧正の所で、若い公家たちや僧たちと談笑している時、晴明は、あるひとりの者から、
「人は殺せるのか?」
と問いかけられました。
「殺そうと思えば殺せるが、生き返らせれるかどうかわからないので、人を殺す術は使いたくありません」
と晴明が答えると、そこにいた連中が
「できないからそんな事を言っているのだろう」
と返してくる。
その談笑している庭先に1匹のカエルがいて、誰ともなく
「ならば、そのカエルを殺して見せよ」
という事になりました。
晴明は、そこにあった草の葉をひとつ摘み取って呪文を唱え、す~っとカエルに向かって投げました。
するとカエルは、葉っぱに押しつぶされ、ペチャンコになって潰れて死んでしまいました。
そこにいた一同の顔色が変わりブルブルと晴明の術の恐ろしさに震え上がりましたとさ。
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毒の瓜を当てた話
~古今著聞集~
物忌み中の藤原道長(ふじわらのみちなが)の所に、僧の観修(かんしゅう)、医師の丹波忠明(たんばただあき)、源義家(みなもとのよしいえ)、そして晴明が集まっていた時の話です。
ちょうどその時、奈良から早瓜が献上されてきました。
道長が、
「物忌み中にこのような物を、取り入れるのはどうであろうか」
と晴明に占ってみるよう命じました。
すると晴明は、
「瓜の中に毒があります」
と言い、たくさんある瓜の中から一つを取り出しました。
観修がお経を唱えるとその瓜が動き出したので、丹波忠明が瓜の二ヶ所に針を打ち立て、最後に義家が腰の刀を抜いてその瓜を真っ二つに割りました。
すると、中にはとぐろを巻いたヘビが入っていました。
義家の刀は、ヘビの頭を打ち切り、丹波忠明の針は、ヘビの両目に突き刺さっていました。
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蔵人の少将の命を救う話
~宇治拾遺物語~
ある日、蔵人の少将が華やかに行列を組んで内裏に向かっていた時の事、1匹のカラスが少将に糞をかけました。
その瞬間、晴明はカラスが式神で少将は陰陽師の呪いをかけられ、式神に打たれたので今夜限りの命である事に気づいたのです。
晴明は、その事を少将に伝え、里で祈祷をする事になり、少将に護身の術をほどこして、一晩中呪文を唱えました。
実は、少将に呪いをかけたのは、同じ家に住む少将の妹の夫でした。
舅が少将ばかりを大切にするのを逆恨みして、陰陽師に頼んで式神を使って少将を呪い殺そうとしたのでした。
少将を呪った陰陽師は晴明の力によって戻された自分の式神によって逆に呪い殺されてしまいましたとさ。
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宿命のライバル蘆屋道満と対決の話
ある日、宮中で同じ陰陽師である蘆屋道満(あしやどうまん)と晴明のどちらの法力が優れているか、競い合った事がありました。
その場にいる公家たちが、道満と晴明にわからないように、長持の中に夏みかん16個を入れ、蓋をして、ふたりに中に何が入っているか、言い当てさせる・・・という物でした。
道満は、すかさず
「中には夏みかんが入っている」
と言いました。
晴明は、
「中にはねずみが16匹入っている」
と言いました。
そこにいたみんなが、
「道満の勝ち、晴明の負けだ!…」
と思いながら蓋をあけると、中の夏みかんはすべて、晴明の術によって、ねずみに変えられていたのです。
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道満の呪いから道長を救う話
~古事談~
~宇治拾遺物語~
藤原道長は、法成寺の御堂に入る時、毎日白い犬を連れていました。
ある日、いつものように犬を連れて法成寺に入ろうとした時、犬が前に回りこんで立ちはだかったり、衣の裾を噛んで引っ張り、道長を寺に入れさせまいとします。
不審に思った道長は、すぐに晴明を呼んで、占ってもらいました。
すると晴明は、道の中にに道長を呪う物が埋められていると指摘。
道を掘ってみると、土器を二つ十文字に合わせた物が出てきました。
晴明が懐紙を鳥の形に結んで、呪文とともに空に投げあげると、白鷺となって南の方角へ飛んで行き、呪いをかけた犯人である蘆屋道満の屋敷に落ちました。
道満は、藤原顕光(あきみつ)に頼まれて術を仕掛けた事を白状し、その後、ふるさとの播磨に追い返されたという事です。
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と、まぁ、こんな感じですが…
いやはや…
どうなるんでしょうね~
なんせ大河ドラマですからね~
こういう不可思議な事を表現するのか?否か?
そこも楽しみですね。
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