上野城の戦い~武田信虎と大井の方
永正十二年(1515年)10月17日、今川氏親の傘下となった上野城の大井信達を武田信虎が攻める上野城の戦いがありました。
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戦国時代に甲斐上野城(うえのじょう=山梨県南アルプス市)を居城としていた大井(おおい)氏は、河内源氏(かわちげんじ)の源義光(みなもとのよしみつ=八幡太郎義家の弟)=新羅三郎義光の流れを汲む武田(たけだ)氏の庶流。。。
平安末期の源平の合戦(【富士川の戦い】参照>>)や鎌倉初期の承久の乱(じょうきゅうのらん)(【木曽川の戦い】参照>>)で活躍する武田信義(たけだのぶよし)&信光(のぶみつ)父子の孫にあたる武田信武(のぶたけ)の三男=信明(のぶあき)が、甲斐西部の大井荘(おおいそう=同南アルプス市)を領有し、南北朝時代の頃に「大井信明」と名乗ったのが始まりとされます。
つまり、甲斐守護(しゅご=県知事)の武田氏宗家を継ぐ武田信虎(たけだのぶとら)とはお祖父ちゃんの時代に枝分かれした親戚…という事になるわけですが、信明は守護代(しゅごだい=副知事)を務めた事もあり、武田家を構成する有力な一員であり、甲斐西部における最も有力な豪族だったのです。
とは言え、以前書かせていただいたように、10代当主の武田信満(のぶみつ)が応永二十三年(1416年)の上杉禅秀の乱(うえすぎぜんしゅうのらん)(10月2日参照>>)に関わった事で失脚し、甲斐の国は一時的に守護不在の無法状態になって(7月22日参照>>)武田家同士でモメまくっていたのを、永正五年(1508年)に第15代当主の武田信虎が一つにまとめて(10月4日参照>>)何とか落ち着いていたわけです。
その翌年の永正六年(1509年)には、都留郡(つるぐん=山梨県大月市・上野原市・都留市・富士吉田市など)に侵攻して、小山田信有(おやまだのぶあり)を従属させた信虎でしたが、ここに来て、西の隣国=駿河(するが=静岡県東部)の今川氏親(いまがわうじちか)が甲斐へと侵攻して来たのです。
しかも、先の守護家内の争いゴタゴタ時代に、西部を守る上野城の大井信達(おおいのぶさと)は、すでに今川の傘下になってしまっていましたから、さぁ大変・・・
かくして永正十二年(1515年)10月17日、武田信虎は大軍で以って大井信達の居城=上野城を攻めたのです。
しかし、周辺の地形に不慣れだった武田軍は、深田に馬を乗り入れてしまい身動きが取れず・・・そこを敵に襲撃されて、武田勢には多くの戦死者が出てしまいます。
大将クラスで20騎、歩兵は100とも200とも言われ、武田信虎側の完敗となってしまいました。
両者の戦いは、翌永正十三年(1516年)になっても続き、ここに大井信達からの救援要請を受けた今川氏親が加わって、
永正十三年(1516年)9月の万力(まんりき=山梨県山梨市万力)の戦い(9月28日参照>>)、
永正十四年(1517年)1月の吉田城(よしだじょう=山梨県富士吉田市:吉田山城)の戦い(1月12日参照>>)と続き、
永正十五年(1518年)の5月にようやく、武田信虎と今川氏親の間に和睦が成立。。。
これを受けて大井信達も武田信虎と和議を結び、大井信達は隠居・・・さらに大井信業(のぶなり)をはじめとする大井信達の息子たちは、これを機に一門・親族衆として武田家臣団に加わります。
また、この同盟の証として大井信達の長女が武田信虎と結婚・・・これが大井の方(おおいのかた=大井夫人)と呼ばれる女性です。
彼女は、このあと
今川氏親の息子である今川義元(よしもと)に嫁ぐ事になる長女=定恵院(じょうけいいん)、
武田家を継ぐ嫡男=晴信(はるのぶ=武田信玄)(11月3日参照>>)、
兄を支える副将=信繁(のぶしげ)、
←の絵を描いた弟=信廉(のぶかど)という武田を支える子供たちを産むことになります。
後に、嫡男の信玄によって、父の信虎が追放された時も(6月14日参照>>)、大井の方は夫に従う事無く甲斐に留まったり、
天文十七年(1548年)の村上義清 (むらかみよしきよ)との上田原(うえだはら=長野県上田市)戦い(6月14日参照>>)での結果に納得がいかず、いつまでも兵を撤退させない信玄に対して、母として活を入れ、
その説得に応じて信玄が兵を納めるという場面もあった事を踏まえると、、、
この大井の方という女性は、意外に根性のある怖い母ちゃんだったのかも知れませんね。
★お詫び=この上野城の戦いは、このあとの万力の戦いや吉田城攻防と流れが同じであるため、以前のページと、かなり内容がカブッておりますがご了承くださいませm(_ _)m
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