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2024年7月18日 (木)

喧嘩上等!恋一途?暴れん坊貴公子~藤原道雅

 

万寿四年(1027年)7月18日、藤原道隆嫡孫にあたる藤原道雅が、賭博が原因で親戚の高階順業と路上にて取っ組み合いの喧嘩をしました。

・・・・・・

本日の主役=藤原道雅(ふじわらのみちまさ)は、あの藤原道長(みちなが)の兄で関白(かんぱく=天皇の補佐役)も経験した藤原道隆(みちたか)の孫で藤原伊周(これちか)の長男・・・

道隆健在の頃は(たぶん初孫?)孫として、かなり溺愛されていたようですが、

ご存知のように(このへんは今年の大河で…)
祖父が亡くなってほどなく、父の藤原伊周が花山院(かざんいん=第65代天皇)矢を射かけてしまう事件(長徳の変)を起こしてしまって左遷されるという(1月16日参照>>)

この時、おそらく3~4歳であった藤原道雅にとっては、何が何だかわけのわからぬ没落まっしぐらの中で育ちます。

とは言え、
そもそも上級貴族は、けっこうな事をやらかしても大して罰せられないのが平安の常。。。

その後も、13歳で従五位下(じゅごいのげ=ここから貴族&上級貴族子息の最初のランク)に叙せられて侍従(じじゅう=高貴な人の近臣)に任官した後、
右兵衛権佐(うひょうえのすけ=兵衛府の次官)から右近衛少将(このえしょうしょう)正五位下
18歳で武官を務めながら従四位下と、順調に昇進していきました。

ただ…この道雅坊ちゃま…なかなかの暴れん坊貴公子です。

いや、これまでもこのブログで暴れん坊しまくる平安貴族を何人も紹介してきましたし、なんなら、
あんだけ暴れても捕まらない&罰を受けない上級国民制度はなんやねん!
と言いたくなるような場面も多々ありました。

しかし、さすがに上級国民だけあって、そのほとんどは命令だけして高みの見物・・・殴られるのも逮捕されるのも従者ばかりだったわけですが、この道雅坊ちゃまのスゴイところは、自分で暴れちゃいます。

寛弘八年(1011年)、三条天皇(さんじょうてんのう)(4月10日参照>>)の即位に伴って皇太子となった敦成親王(あつひらしんのう=一条天皇の皇子で後の後一条天皇)東宮権亮(とうぐうごんのすけ=皇太子付)に任ぜられ、皇太子に仕える事になった道雅は、

その2年後の長和二年(1013年)、敦明親王(あつあきらしんのう=三条天皇の皇子)の従者であった小野為明(おののためあき)が、主人の使いで、その生母の邸宅に訪れた際、
何を思ったか?自身の従者に命じて小野為明を拉致。。。

自宅に連れ込んで、道雅自ら小野為明の髪の毛を掴んで引きずり回し、従者とともに殴る蹴るの暴行を加えたのです。

後日、敦明親王から訴えがあって事件が発覚しますが…

どうやら、この暴行がトンデモなく醜く、小野為明はまさに死ぬ寸前だったようで、さすがに無罪というわけには行かず、道雅は謹慎処分を受けました。
(それでも謹慎だけかい!)

その後、長和四年(1015年)には左近衛中将(さこんえちゅうじょう=近衛府の次官)になり、
長和五年(1016年)正月には敦成親王が践祚(せんそ=天皇になる事)して後一条天皇(ごいちじょうてんのう=第68代)になった事で、道雅は蔵人頭(くろうどのとう=天皇の秘書官の長)となりますが、

わずか在任8日で従三位に叙せられ、公卿(くぎょう=一定以上の高官)の仲間入りをし、

ここらあたりからの道雅には、「荒三位」「悪三位」などというニックネームがつけられ、その暴れっぷりを誰もが知るようになります。

ところが、その一方で彼は悲しき恋をする事にもなります。

そのお相手は、道雅より9歳年下の三条天皇の娘=当子内親王(とうし・まさこないしんのう)。。。

彼女は12歳で斎王(さいおう=伊勢神宮に奉仕する巫女となる皇女)に選抜され、14歳から伊勢神宮(いせじんぐう=三重県伊勢市)にて奉仕していましたが、三条天皇が退位して後一条天皇に代った長和五年(1016年)に退下して帰京していたのですが、そこに道雅が通っているとの噂が立ったのです。

ほどなく、二人の関係が事実であった事が明らかとなり、父の三条天皇は
「密通だ!」
と大激怒・・・

道雅を勅勘(ちょっかん=出仕差し止め)処分としたうえ、当子内親王は、その身を母の藤原娍子(せいし・すけこ)の館に移動させて半ば幽閉状態とし、二人の逢引きを仲介をしていた乳母も追放してしまいます。

周囲には、
「内親王はすでに斎宮を退いているんだから」
てな声もあったようですが、

基本、臣下は皇女を娶る事が出来ないのが、この時代の一般常識でしたから、やはり二人の恋は「密通」となってしまうわけです。

この時に道雅が詠んだ歌が、小倉百人一首に納められている、あの歌です。

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♪今はただ 思ひ絶えなん とばかりを
 人づてならで 言ふよしもがな ♪『後拾遺集』
「こうなったら、
 もうこの思いは断たなアカンと決意したんやけど、

 できるなら伝聞やなく、君に会って直接伝えたいなぁ」

そうそう、言い忘れてましたが、道雅は、こんな暴れん坊ですが中古三十六歌仙(ちゅうこさんじゅうろっかせん)の1人に数えられている歌人でもあります。

この道雅の思いを知ってか知らずか、傷心の当子内親王は、悲しみのあまりに自ら出家し、この5年後に22歳の若さでこの世を去ってしまうのです。

これは、さすがに可哀そうだ(ToT)

歌を見る限り道雅クンも本気っぽいし、当子さんも…
(今も昔も、喧嘩上等のヤンキーは恋に一途やったりするからなぁ~)

と、
悲しみに浸っているヒマはない。

 当子さんの死から、わずか2年後の万寿元年(1024年)12月、当時、上東門院(じょうとうもんいん=藤原彰子:後一条天皇の母)の女房を務めていた花山院の皇女が、夜中の路上で殺されるという殺人事件が発生し、その容疑者として捕まった男が
「道雅さんの命令でやりました」
自白したのです。

さすがに朝廷内も大わらわとなりますが、その20日後、今度は盗賊の親玉だと自称する男が、
「本当は僕がやりました」
自首して来ます。

…、とまぁ、サスペンスドラマだとメッチャ気になるところですが、なんと、この後の事件の記録がない。。。
(さすがはウヤムヤだらけの平安時代ww)

ただ、このあと道雅が右京大夫(うきょうのだいぶ=司法行政の長)と、明らかに左遷されてるので、やはり何かしらの影響があったものと思われます。

別れさせられた恋人が亡くなったうえに左遷されて…
さぞかし道雅クンは落ち込んでるやろなぁ~

と思いきや、なんのなんの❣

万寿四年(1027年)7月18日、「荒三位」&「悪三位」の名に恥じない暴れっぷりを披露してくれています。

どうやらこの日、親しい高階順業(たかしなののぶなり)の家で賭博に興じていた道雅さん。。。

この高階順業という人は、道雅の祖母(つまり藤原道隆の嫁)高階貴子(きし ・たかこ)兄弟の息子・・・という事なので、

道雅から見れば親父の従兄弟、
高階順業から見れば従兄弟の息子
という関係になります。

そんな親戚の家にて、賭け事を。。。

ま、この頃の賭け事の流行と言えば、
奈良時代以降、何度も禁止されている(11月14日参照>>)アブナイ遊び代表の双六(すごろく)か、

あるいは二人で囲碁やって、それに賭けてたとか?

とにもかくにも、その賭け事がキッカケで藤原道雅と高階順業は口論となり、ヒートアップした二人は、そのまま邸宅から路上へと場所を変え、さらに口論・・・

それはもう、ものスンゴイ勢いでお互いの悪口言いまくりのヒドイ罵り合いだったとか。。。

とは言え、この段階では、まだ口で言い合ってるだけでしたが、そこに高階順業の乳父(めのと=乳母の夫)である惟宗兼任(これむねのかねとう)

順業の加勢をすべく藤原道雅につかみ掛かり、道雅が着ていた狩衣(かりぎぬ=公家の私服)の袖を引きちぎったのです。

普通のお公家さんなら、ここで
「オヨヨ」
と慌てふためくところですが、さすがは場数を踏んだヤンキー「荒三位」・・・
そんな事くらいで怯むわけなく、逆に、さらに激しく二人相手に大立ち回り。

それは
「道路の雑人 市を成す」
まるで市場のように見物人が集まって大騒ぎに

なんせ、路上ですから・・・

とは言え、
このころは、まだ30代半ばだった道雅さんも、
さすがに、年齢がいくにつれて落ち着いて来たのでしょうか?

この事件以降、お公家さんの日記等に、その暴れっぷりが出て来る事はなくなりましたが、

結局、生涯そのまま昇進する事も無く天喜二年(1054年)7月20日63歳の生涯を閉じました。

ま、晩年になっても歌会を開いたりして、歌人としては評価されていますので、さすがの暴れん坊も、人生後半は穏やかにお暮しになっていたのでしょうね。

ちなみに、かの恋とは別に複数の嫁がいて、やることやって二男二女をもうけ、そのうち一人の娘さんは父と同じく中古三十六歌仙の1人に数えられる歌人となっていますので、歌の才能はしっかり受け継がれたという事で…

良かった良かった。
 .

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コメント

道雅の奥さんは藤原宣考の娘ですね。
そうなると紫式部は「義理の親類」になりますね。

最近、記録に残る平安貴族のけんか騒ぎをまとめた書籍が出ています。

投稿: えびすこ | 2024年7月18日 (木) 09時36分

えびすこさん、こんばんは~

今回のメインの話の賭博のヤツは『小右記』ですが、藤原実資の日記はこんな話多いですよね~

前半の話は『御堂関白記』にも出て来ます。

大河ドラマの一年は、関連書籍の出版が増えますね。

投稿: 茶々 | 2024年7月19日 (金) 04時24分

茶々さん、こんにちは!

大河ドラマで成人した道雅が登場するようになりましたね。
この先はどうなるかまだ分かりませんが、父・伊周とあまり仲がよろしくなさそうです。

道雅の中の人は「小さい頃に父親とあまり関わる時間が少なかったんじゃないかな」とコメントしていて、道雅も父親の失脚事件で何か歪んでしまうことがあったんだろうかと想像してしまいます。
(だからって、乱暴していいわけじゃないですが)

まひろも娘と不穏な雰囲気なっていますし、母に構ってもらえない賢子が道兼のようになってしまったらどうするんだろうとドラマの親子達がどうなっていくのか楽しみです。

投稿: 禿鼠 | 2024年9月12日 (木) 08時06分

禿鼠さん、こんばんは~

もともと紫式部は共感が持てないタイプの人なので(清少納言の方が好きww←あくまで個人の好みです)

この先どうなっていくのでしょうね~

やっぱり主人公なので共感が持てる良い人になってくだされば、もっと応援できるのに~っと思いながら見ております(^o^)

道雅の中の人…良い味出してましたね~
楽しみです

投稿: 茶々 | 2024年9月13日 (金) 01時57分

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