奈良の戦国~筒井順賢と古市澄胤の白毫寺の戦い
明応六年(1497年)11月14日、筒井順賢が古市澄胤を攻めた戦火によって白毫寺が焼失していまいました。
・・・・・・・
古くから東大寺(とうだいじ=奈良県奈良市)や興福寺(こうふくじ=同奈良市)や春日大社(かすがたいしゃ=同奈良市)といった宗教勢力が強い事から、武士の時代になっても大物守護(しゅご=政府公認の県知事)がいなかった大和(やまと=奈良県)は、
戦国時代になると、そんな寺社の荘園管理をする者たちが力をつけはじめ、筒井(つつい)氏に越智(おち)氏や十市(とおち)氏…そこに箸尾(はしお)氏を加えて『大和四家』と呼ばれる国衆らが群雄割拠するようになるのです。
そんな中、応仁の乱(おうにんのらん)(5月20日参照>>)では、養父の越智家栄(おちいえひで)とともに、乱の発端を開いた(1月17日参照>>)うちの1人である畠山義就(はたけやまよしなり)に味方して参戦していた古市澄胤(ふるいちちょういん)は、
明応二年(1493年)に山城の国一揆(やましろのくにいっき)を鎮圧させた(9月17日参照>>)功績で大和の半分を支配する大和守護格に出世して国衆トップの座を得たのです。
一方、越智&古市と敵対していた筒井順賢(つついじゅんけん)&十市遠治(とおちとおはる)&箸尾為国(はしおためくに)らは、畠山義就と後継者争いをしていた畠山政長(まさなが=義就の甥)が同じ明応二年(1493年)に亡くなった(4月25日参照>>)事もあって、ここンところは少々分が悪い。。。
しかし戦国乱世に於いては、それも束の間・・・
亡き父の後を継いだ畠山政長の息子=畠山尚順(ひさのぶ・ ひさより)が後継者争いも引き継いで(7月12日参照>>)、同じく畠山義就から引き継いだ畠山義豊(よしとよ=義就の息子)と交戦を続ける明応六年(1497年)10月、
畠山尚順が畠山義豊の拠る河内高屋城(たかやじょう=大阪府羽曳野市古市)を陥落させると、触発された十市遠治が越智家栄を壺坂(つぼさか=奈良県高市郡高取町)に攻めて大勝利・・・やむなく越智党は吉野(よしの)を目指して落ちて行ったのでした(10月19日参照>>)。
ここに来て、やっとこさやって来た形勢逆転劇を見逃さなかった筒井順賢は、明応六年(1497年)11月14日、突如として古市澄胤の古市城(ふるいちじょう=奈良県奈良市古市町)を攻めたのです。
白毫寺の戦い・要図↑クリックで大きく
背景は「地理院地図」>>
いきなりの力攻めを喰らい崩れる古市軍は、やむなく城に火を放ち、一旦退いた後、
今度は、追って来る筒井軍を迎撃すべく、白毫寺(びゃくごうじ=奈良県奈良市白毫寺町)村に陣を構えます。
しかし、悲しいかな古市軍の兵力は約300ほど、、、
一方の筒井軍は、秋篠(あきしの)や宝来衆(ほうらいしゅう)などの援軍を得ていて約1000。。。
劣勢ながらも善戦する古市軍でしたが、多勢に無勢では如何ともしがたく・・・再起を図るべく、一旦、笠置(かさぎ=京都府南部)方面へと落ちていったのでした。
このあと、勝利した筒井軍は白毫寺付近に火を放ち、周辺の家々を焼き払ったのです。
その火は白毫寺の伽藍にも燃え移り、本堂をはじめ、閻魔堂や多宝塔など、ほとんどの堂塔を焼失してしまったのでした。
それでも、
当然のことながら、奈良の戦国はまだまだ終わる事はありませんでしたが、この2年後・・・戦い続きの毎日に嫌気がさした奈良の国衆たちは、和睦を結んで平和を目指すのですが、
そこにチャチャを入れるのは中央政府・・・現代人から見れば
「せっかく平和になったのに中央政府が何やっとんねん!」
ってツッコミまくりですが、そのお話は【赤沢朝経率いる京軍の大和侵攻】のページ>>で見ていただくとしてm(_ _)m
白毫寺・本堂 |
一方、鎌倉時代からの伽藍を失ってしまった白毫寺のその後は、、、
ほどなく、同じ奈良にある海龍王寺(かいりゅうおうじ=奈良県奈良市法華寺北町)の僧らによって、一部再興されましたが、
『続南行雑録』によれば、永正十七年(1520年)に、またもや古市氏と筒井氏の兵火に巻き込まれて、これまたほとんど焼失・・・
やがて戦国最終段階の慶長七年(1602年)に、おそらく関ヶ原に勝利してウキウキ気分であったであろう徳川家康(とくがわいえやす)から、朱印五十石の給地を与えられた事から、地蔵堂や多宝塔などが復興されましたが、
残念ながら江戸時代の宝暦七年(1757年)にも失火によって火事になり、現在の建物は、ほとんどが、それ以降に復興された建物という事になってしまっていますが。。。
とは言え、境内の椿がメッチャ綺麗で、椿の名所として有名なお寺なので、機会があれば花を愛でに訪れてみてはいかがでしょうv(^o^)v
地蔵堂付近のお地蔵さん群もカワイイ
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