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2025年1月16日 (木)

1月16日は念仏の口開け~正月行事と神仏習合のお話

 

毎年1月16日「念仏の口開け」というお正月行事です。

・・・・・・・・・

ただし…「念仏の口開け」は、去る年末=12月16日の「念仏の口止め」という行事とのセットで行われます。

つまりは、
「年末に止めた」
ので
「年始に開ける」
わけです。

何を?…って念仏を唱える口を…です。

以前、【お歳暮の由来】>>のところで書かせていただきましたが、お正月には「年神(としがみ)様」という神様がやって来るわけですが。。。

お正月を迎えるための一般的な年末&年始行事のほとんどは、この年神様を迎える準備であり、

その後、お正月を終えて帰って行かれる年神様をお見送りするための行事なのです。

まずは、家を綺麗にかたずけて(大掃除神様のための棚を設置して、そこにお餅(鏡餅)お酒(御神酒)をお供えし、

「清めましたよ!来てくださいね」
とばかりに注連縄(しめなわ)を玄関に飾って神様の通り道を設え、

まずは玄関先に置いた常緑樹(松や榊など=門松)依り代(よりしろ=神様が下りて来る場所)として来訪してもらうのです。

そんな年神様は、約15日間、家に滞在し、1月15日に天へお戻りになる・・・これが【小正月】>>

なので、1月14日か1月15日には、【とんど焼き】>>(左義長・どんど焼き・せいと焼き…など各地で呼び方が違います)を行って、お正月に使用した注連縄や鏡餅などを焼いて、天まで届く煙で以って
「また来年も来てくださいね~」
とお見送りし、

小豆粥(あずきがゆ)を食べて、一連のお正月行事を終えるのです。

そして、その翌日・・・16日に行われるのが今回の「念仏の口開け」。。。

そう、、、実は、お正月に年神様を迎えている間は、仏様にはちと我慢していただいて、
「その間は念仏を唱えない」
という事なのです。

つまり、今回の「念仏の口止め」と「念仏の口開け」という行事は、
神道の行事であり仏教の行事でもあるのです。

私、個人的には日本人のこういう考え方、大好きです。

そもそもは自然に対する恐れと敬いから、天にも地にも、あらゆるものに神が宿るという土着的な素朴な信仰だった物が、やがて統治する者される者、ムラクニになり神道という物に変化していく中で、

大陸からやって来た仏教・・・【仏教伝来】>>

賛成やら反対やら【仏像投げ捨て事件】>>
紆余曲折ありながらも、日本の仏教は神とともに生きる事を選択します。

一方、神道ドップリであるはずの天皇家の方々も、、、

壬申の乱でご先祖のおおもとである天照大神(アマテラスオオミカミ)に戦勝祈願した(6月25日参照>>)天武天皇(てんむてんのう=第40代)が、嫁さん(持統天皇)の病気治癒を願って薬師寺(やくしじ=奈良県奈良市)を建立(10月4日参照>>)したり、

さらに、平安時代頃から神前で読経が行われるようになると、退位した天皇様が出家して法皇になったり、、、
白河法皇>>鳥羽法皇>>後白河法皇>>

やがて
「仏が神の姿になって現れる」=本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)
が流行し、神社に附属して建てられる神宮寺(じんぐうじ)
逆に寺院の境内に建造物などを守る鎮守神(ちんじゅがみ)が置かれる事もありました。
【毘沙門の本地】も参照>>)

歴史授業で習う神仏習合(しんぶつしゅうごう)ですね。

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江戸時代に描かれた鎌倉鶴岡八幡宮寺(東海道名所図会)

とは言え、神仏習合で完全に混ざり、一つの信仰になったか?と言えば、それはそれでまた違うのです。

そこがオモシロイ…いかにも日本らしい所で、ある部分では合一されつつも、それぞれ独立した信仰を保ち、ある時は競合しつつも、ある時は共生し、つかず離れずの日本独特の関係を築いていくのです。

しかし、やがて明治維新が成り、新政府による明治四年(1871年)の太政官布告によって(12月28日参照>>)神仏分離令が出て両者は別々の道に・・・

その頃には廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の嵐の中で、多くの寺院が苦境に立たされましたね。
【フェノロサと岡倉天心】参照>>)
【日本に奈良県がなかった11年間】参照>>)

そんな中で生き残った全国のお寺さん。。。

このご時世…今は行う所も少なくなったと言われる今回の「念仏の口止め」「念仏の口開け」ですが、

現在は再び、お互いを尊重するおおらかな宗教観になっているわけですから、この先の未来永劫、是非とも受け継いでいっていただきたい行事です。

なんか、天の上の方で
神さんと仏さんが隣どうし座って、
正月に、
神=「ちょっと今だけ後ろ行っといてくれるか」
Kamisamahotokesama 仏=「今だけやで」
神=「分かってるて」
謹賀新年!
↓からの
仏=「16日になったで~」
神=「ごめんごめん」
「よっこらしょっと」
で、元通りに…

みたいなんを想像してしもて微笑ましい気分に。。。

世界中の神様仏様が、そんな感じだと良いね❤
 .

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コメント

以前から気になっていましたが年末年始に亡くなった人(命日が12月25日~1月7日の事例)の法事は、1月上旬が命日でも関東圏で見ると「極力12月28日までに済ませる」か、「1月8日以降に行う」のが正しいのでしょうか?
でも本来は「口閉じ~口開け」の期間は避けるべきなんですね。普通に考えると少なくとも松の内は「初詣期間」であるので、この期間は寺院の場合は住職とかが寺院にいるべきであるので。
著名な人で年末年始に亡くなった人が最近多いので、12月末が命日でも「しのぶ会」は1月後半に回しても、家としての法事はどうするのかと最近考えます。

投稿: えびすこ | 2025年1月20日 (月) 10時56分

えびすこさん、こんばんは~

最近は、
昔ながらの伝統的なお祭行事も、
土日に合わせて日付変えたりしはるので
(特に京都はww)、
そういう、臨機応変なご時世なんやと思いますよ。

投稿: 茶々 | 2025年1月21日 (火) 03時31分

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