松永久秀の大和平定~多武峰の戦い
永禄六年(1563年)1月27日、大和平定を目指す松永久秀が、反発する多武峰衆を攻めた多武峰の戦いがありました。
・・・・・・・
天文十八年(1549年)6月の江口(大阪市東淀川区江口周辺)の戦い(6月24日参照>>)に勝利して、将軍=足利義輝(あしかがよしてる=13代)と、その補佐役の元上司=細川晴元(ほそかわはるもと)を近江(おうみ=滋賀県)に追いやった事で、
その家臣として活躍していた松永久秀(まつながひさひで)が大和(やまと=奈良県)の平定に力を入れ始めるのは、
信貴山城(しぎさんじょう=奈良県生駒郡平群町)を大幅改修したり、
大和と山城(やましろ=京都府南部)の国境付近に多聞山城(たもんやまじょう=奈良県奈良市法蓮町)を築城してその後の拠点とした永禄二年(1559年)頃からとされます。
(天文終盤の説もあり)
翌永禄三年(1560年)には、
●第2次井戸城の戦い>>
●沢城の攻防>>
●檜牧城の戦い>>
と立て続けに大和の諸城を攻撃していきつつ、
やがて、
この周辺でブイブイ言わせていた筒井(つつい)氏を継ぐ筒井順慶(じゅんけい)(7月17日参照>>)と相対する事になるわけですが…
これまでも何度かお話させていただいております通り、この大和という地は、それこそ神代からの神社や飛鳥時代からの寺院などの宗教勢力の力が絶大で、
鎌倉時代や室町時代の武士政権も、守護らしい守護が置けないまま、
興福寺(こうふくじ=同奈良市)に属する『衆徒』(筒井氏など)や
春日大社(かすがたいしゃ=同奈良市)に属する『国民』(越智氏や十市氏など)の
国衆が闊歩する戦国の世となっていたわけです(11月15日参照>>)。
そんな中で、本来の地元民ではない松永久秀がやってきて、徐々に勢力をを拡大して来たわけですが、
実際に、永禄五年(1562年)の記録には、大和国中(くになか=奈良の平野部付近の事)に対して、久秀が租税徴収の命を下している文書が残っていますので、この頃には、大和の中でもかなりの部分を領有していた物と思われます。
とは言え、合戦を繰り返したり税を徴収したりする一方で、久秀は神社の神事や仏閣の行事などには、自身の金を惜しみなく使い、また戦の無い時には極力周辺の治安維持に努め、地元民への人気取りにも励んでいます。
もちろん、そんな久秀とて古くからの宗教勢力との関係維持は必須で、特に興福寺とは行政を通じて密接な関係を築いて、極力、モメ事を起こさないようにしていたみたいですが。。。
ただ…
大和の宗教勢力と言っても、その発生や成り立ちや思いもバラバラなわけで、当然、一枚岩では無い・・・
「興福寺と密接…」という事は、言い変えれば「興福寺と敵対している勢力からは反感を買う」事になるわけです。
それが、今回の多武峰(とうのみね)衆徒です。
多武峰とは、奈良県桜井市南部にある山と、その周辺にあった寺院の事で、
飛鳥時代の斉明天皇(さいめいてんのう=37代)(1月3日参照>>)の頃(655年~661年)に、「多武峰の山頂に高殿を築いて両槻宮(ふたつきのみや)とした」事が『日本書紀』登場します。
その後も大化の改新(6月12日参照>>)に功績のあった藤原鎌足(ふじわらのかまたり)が、この地に改葬されたりして、
「藤原氏に災いが起きる時には山が鳴動する」
と信じられたおかげで、
篤い信仰の対象となり、平安時代には藤原氏の繁栄とともに多武峯妙楽寺(とうのみねみょうらくじ)という有力な神仏習合の寺院として発展を遂げましたが、
一方で、興福寺や春日大社とは仲が悪く、特に、多武峯妙楽寺が比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)の末寺となってからは、
「宗派が違う」
として度々焼き討ちに遭っています。
この戦国でも越智(おち)氏が味方についた事で筒井とは敵対し、上記の大和焼き討ち(↑と同じ11月15日参照>>)でも伽藍の焼失を余儀なくされました。
ちなみに、この多武峯妙楽寺は、明治の神仏分離によって失われ、
現在は談山神社(たんざんじんじゃ)と呼ばれる紅葉の名所として有名ですね。
とまぁ、このように、興福寺とは宿敵の間柄であった多武峯衆徒は、松永久秀の命にはことごとく反発し、いっこうに命令に応じなかったため、久秀はいたくご立腹。。。
かくして1月22日に兵を率いて出陣した松永久秀は、永禄六年(1563年)1月27日、多武峯衆徒との合戦に及んだのです。
しかし、久秀の大軍は、大軍ゆえ険しい山にその行く手を阻まれ、思うように進めない一方で、
勝手知ったる山にて縦横無尽にゲリラ戦を展開する多武峯衆徒(主に僧兵)は攻め手を寄せ付けません。
それでも、しばらくは武門の意地とばかりに激しく攻め立てる松永軍でしたが、結局、苦戦に次ぐ苦戦で、
やむなく久秀は将軍の足利義輝に仲介を依頼したのです。
こうして間に入った義輝でしたが、多武峯衆徒は、その将軍の権威にも屈せずに、いつまでも事を収めようとしなかったようで…なかなか困った物です。
そんな多武峯衆徒が、少し落ち着くのは、
今年の大河ドラマ「豊臣兄弟」の主役=豊臣秀長(とよとみひでなが=秀吉の弟:羽柴秀長)が郡山城(こおりやまじょう=奈良県大和郡山市)に入る頃。。。(4月22日参照>>)
豊臣政権下で、この郡山にて大和の地を治める事になった秀長が、郡山城下に寺を移す政策を取った事で、
僧侶などの一部の者のみが寺に残り、多くの衆徒が解散…となったのだとか。。。
(ドラマでやるかな?ワクワク)
現存する世界唯一の木造十三重塔(重要文化財)には惚れ々々しますよね~美しい
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コメント
今年の「豊臣兄弟!」での松永久秀役は、30年前の「秀吉」の主役だった竹中直人さんですね。
「平蜘蛛の茶釜」は出るかな?
投稿: えびすこ | 2026年2月 6日 (金) 09時09分
えびすこさん、こんばんは~
松永久秀は信長や秀吉の親世代ですものね。。。
楽しみです!
投稿: 茶々 | 2026年2月 7日 (土) 02時09分