教科書から消えた慶安御触書とは?
慶安二年(1649年)2月26日、江戸幕府による農民統制のため「慶安御触書」が発布されました。
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かつては、日本史の教科書や歴史年表に赤文字で強調された重要事項で、
「ここ試験に出ますよ!」
的な扱いで表示されていた慶安御触書(けいあんのおふれがき)は、、、
原本は未だ発見されていないものの、複数の写本が残り、その写本の中には徳川幕府の公式史書である『徳川実紀(とくがわじっき=御実紀)』や『徳川禁令考(とくがわきんれいこう)』などに収録されている事から、德川幕府が出した法令とされ、
末尾に書かれていた慶安二年(1649年)2月26日の日付で以って発令された32条からなる幕法であると…
写本によって細かな違いがあるのですが…
- 地頭(じとう=領地管理役)や代官(だいかん=←の代理)の事尊敬して言う事聞いてな
- 朝は早起きして草を刈り、昼は田畑を耕し、夜は繩をない俵を編んで…手抜かんと頑張ってな
- 酒とか茶とか買うたらアカン
- 君らは、ちゃんと教育を受けてないから先の事考えんと米穫れたら穫れたぶん食べてまうやんか
それしたら先のぶん無くなってまうから、常に2月3月の気持ちで食物を大切にせなアカンで
米はおいといて粟や稗の雑穀や芋の葉っぱとか食べてたらえぇねん - 男は田畑の耕作に精を出し、女は機織りに、夜も頑張って働いてや
なんぼ美人の嫁はんでも三食昼寝付のグータラでは離婚や!ブサイクでも夫を大事にする働き者の嫁にはやさしくしたりや - 着物は麻とか木綿とか以外は禁止
- 空いた時間にちょっとは商売して財産増やしな~商売の心得あると年貢納める時にも役立つで
- 「百害あって一利なし」のタバコは禁止
- 病気になって畑仕事できひんようになった人がいたら、皆で助け合って頑張ってや~
- …↑みたいな事に気つけてたら家計が楽になるし、年貢さえちゃんと納めてたら百姓ほど楽な仕事無いねんから、この事、子や孫&末代にまで語り次いで頑張ってや~
てな感じの内容です。
酒もタバコも茶まで禁止で
「とにかく働け」
てか?
えらい勝手な言い草でんな~幕府のお偉いさんよ!
君らは、どうせ
「ささ…お代官様~」
「おぬしもワルよのう~」
の世界ちゃいますのん?
ちゃんと教育受けてない…てか?
それは君ら、政治家の怠慢ちゃうんけ?
…と、
メッチャ腹立つ法令ですやん!
と、ちょいと怒り爆発しそうになって悪態をついてしまいましたが、
実は、コレ、今では「なかった」とされ、現在の教科書では、慶安御触書は排除されているのです。
ただ…
法が発令されたとされる慶安二年(1649年)頃がとは・・・
慶長二十年(1615年)の大坂の陣(5月8日参照>>)で徳川の世となって、間髪入れず武家諸法度(ぶけしょはっと)(7月7日参照>>)を発布するも、翌年に徳川家康(とくがわいえやす)が死去(4月17日参照>>)。。。
家康息子の徳川秀忠(ひでただ)が後を継ぎ(1月23日参照>>)、三代目の徳川家光(いえみつ)に将軍職をバトンタッチするのが元和九年(1623年)。。。(7月23日参照>>)
寛永十二年(1635年)には参勤交代(さんきんこうたい)制(6月30日参照>>)を定めて幕府の全国支配を盤石な物にし、寛永十四年(1637年)には五人組精度(10月26日参照>>)を導入して農民支配を強化しますが、
一方で寛永十五年(1638年)に島原の乱が勃発(2月28日参照>>)すると同時期に、九州で発生した牛疫(ぎゅうえき=牛疫ウイルスが原因の感染症)が徐々に西日本に拡大・・・
さらに寛永十七年(1640年)6月に蝦夷駒ケ岳(えぞこまがたけ=北海道駒ヶ岳)が噴火したために東北一帯に灰が振り、これより3年間の凶作・・・
さらに畿内や北陸の大洪水などが追い打ちをかけ、後に寛永の大飢饉(かんえいのだいききん)と呼ばれる大災害となるのです。
そのため、幕府では田畑永代売買禁止令(でんぱたえいたいばいばいきんしれい)を出して(11月30日参照>>)米不足や米価高騰に対応するのですが、農家では身売りが頻発し、百姓が田畑を捨てて都会に流れていく現状が後を絶たなかったのです。
そう…この慶安二年(1649年)という年代に、このような流れがあった事で、この慶安御触書は、幕府が年貢を確保するために農業経営などを百姓に教えるべく出した~というのが定説となっていたわけです。
なんなら、教科書には
「3代将軍の徳川家光が出した江戸時代を通じての農民支配の根本原則となる法令」
とまで書かれていました。
ところが、それにしては百姓をはじめとする庶民の、この法令に対するリアクションの記録が、ほほ無し。。。
もちろん、幕府関係者の、それも、色々細かく記している日記にさえ一切登場しないのです。
そんな中、近年になって、
この御触書は、
甲府徳川家(こうふとくがわけ=家光の三男から枝分かれする分家)が元禄十年(1697年)に地域限定で出していた物を、
なぜか?19世紀になって岩村藩(いわむらはん=岐阜県大垣市付近)が出版した書物の中で
「慶安二年(1649年)に幕府が発令した」
と書いちゃったため、この誤報が全国に広まってしまった。。。
てな事が判明・・・そのために現在では教科書にすら載らないようになってしまったのだそうです。
一部には「偽書」みたいな書き方をされてる場合もあるようですが、これは偽書ではなく、悪意の無い勘違いだと思いますね~
なんせ上記のとおり
『徳川実紀』に載ってるし~
写本は現存するし~
で、本をまとめる際に、他の法令と同じように入れちゃったんでしょうね~
そして、それを見た後世の人が、ちょうと五人組やら田畑永代売買禁止令の発令と相まって、
「ありえるな~」
ってなっちゃったのかも知れません。
もちろん、今回のこのページ、
かつて慶安の御触書を重要視した専門家の方や、ソレを受けて教科書に掲載した方々を批判してるわけでも否定してるわけでもありません。
新たらしい発見&気づきによって教科書の内容が変わる事は多々ある事・・・
むしろ、それが「歴史は日々新化する」という事です。
(過去にあった出来事が変化するわけではないですから…)
ただ…私のように、
「慶安御触書がまだ教科書に載ってる重要事項」
と思ってる方がいるといけないので、一応お知らせしときます
v(#^o^#)v
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コメント
私が小学生~高校までの日本史の項目にはありました。
でもよく考えてみれば家訓程度にとどめるのならまだしも、全国の庶民全般にいたるまで、日常の私生活(日頃の飲食)にいたるまで法令で干渉するのは不自然といえば不自然かも?
当時は五人組制度があるとはいえ、1人だけの秘密裏の行為であっても、違反した人物がわかったらだれが報告して、最終的な処分はだれが下すのかの規定はあったのでしょうか?
投稿: えびすこ | 2026年3月 1日 (日) 13時18分
えびすこさん、こんにちは~
それは…
名主も代官も、最終的には領主、さらに将軍いますから…
五人組のページ>>を見ていただくとありがたいです
投稿: 茶々 | 2026年3月 2日 (月) 14時44分