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2026年3月 3日 (火)

柴田勝家の領国経営~越前支配の掟書七箇条

 

天正四年(1576年)3月3日、織田信長から越前を任されている柴田勝家が、掟書七箇条を発しました。

・・・・・・・・・

今回の柴田勝家(しばたかついえ)は、もはや説明不用の有名人。。。

織田信長(おだのぶなが)父ちゃんの時代から織田家に仕え、始めは信長弟の織田信行(のぶゆき=信勝)(11月2日参照>>)付きの家臣だったのが、父ちゃんの死後に兄弟が不仲となる中で信長に鞍替えして、信長の信行暗殺にも一役かいました。

おかげで信長政権下では、同じく先代からの家臣=佐久間信盛(さくまのぶもり)と並ぶ織田家の重臣となったのです。

やがて、越前(えちぜん=福井県北東半分)守護(しゅご=県知事)だった朝倉義景(あさくらよしかげ)を倒した(8月20日参照>>)天正元年(1573年)になって、

信長は1度、禁制(きんせい=権力者が一般に広く通知する目的で出す)出して、自らが越前の支配者になった事を広く告げますが、

この頃は、まだ越前一向一揆(えちぜんいっこういっき)の勢力が強く、完全には支配し切れていなかったよう・・・
 【越前一向一揆~桂田攻め】>>
 【越前一向一揆~平泉寺の戦い】>>
 【越前一向一揆~富田長繁の最期】>>

そして天正三年(1575年)にようやく一向一揆を鎮圧した信長(8月12日参照>>)、この越前の地の大部分(8郡)を柴田勝家に託す事にしたのです。

こうして
北ノ庄城(きたのしょうじょう=福井県福井市・現在の福井城付近)を居城とする勝家中心に、

目付役として
小丸城(こまるじょう=福井県越前市)佐々成政(さっさ なりまさ)
龍門寺城(りゅうもんじじょう=福井県越前市)不破光治(ふわみつはる)
そして
府中城(ふちゅうじょう=福井県越前市)前田利家(まえだとしいえ)(5月24日参照>>)
世に言う「府中三人衆」として周囲を固めるお馴染みの体制となったのです。

Sibatakatuiekitanosyou500 とは言え、今年の大河ドラマ「豊臣兄弟」でのイメージもそうですが、
勝家さんって…なんか「血の気の多いオッチャン?」みたいな感じで、

いつも武勇を誇っていて合戦に明け暮れてる感じ?(←個人の感想です)

だからなのか?勝家さんが領国経営してるとこって、あまりドラマや小説で描かれませんよね~

ま、猛将で鬼柴田なのは確かなんですけどww
座って落ちついてしゃべってるシーンは清洲会議(6月27日参照>>)くらいか?(笑

ただ…
もちろんですが実際の勝家さんは、そんなワケ無い…しっかり領国経営をこなしておられます。

信長も勝家に越前を託すにあたって、
「越前という大国かつ要衝を預けるのだから、しっかりと軍事力の強化に努め、無理な課役(かえき=税の代わりに与えられた仕事)はさせず、賞罰は正しく公平に行い、必要な時には俺の指示をあおぐんやで~」
と釘を刺しています。

ただ、越前の領国経営は前途多難でした。

当然ですが、上記の一向一揆の火種のくすぶりもゼロというわけにはいかない中で戦乱によっての現地の荒廃ぶりが凄まじく、まずは北ノ庄の城下町の整備からしなければならないわけですが、

建築材料を確保せねばならない一方で無理な伐採はしてはいけないし、人手を確保せねばならない一方で農民たちを好き勝手に駆り出すわけにはいかない・・・

このような矛盾する政策を一つ一つ調整しながら、粘り強く進めていかねばならないのでした。

そんな中で発信されたのが、今回の天正四年(1576年)3月3日に発給された七箇条に渡る掟書です。

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柴田勝家申出条々(『福井県史』より)

とりあえず
書き出してみます(間違ってたらゴメンチャイ)

国中江申出條々

  • 人足用所之時者此印判可召仕其外一切
    不可罷出者為雇雖令承諾並可為曲事
    当城普請雖可申付旦為憐愍耕作等
    為可申付也所詮抛萬端可成其覚悟事
  • 名主百姓午前内小成物可為如先規事
  • 所々上使催足賄之事一汁二菜何にても可為
    有相中酒一篇 立料者侍百疋中間五十
    疋但可為置銭 付符者可出印判事
  • 国中反銭諸納所銭如高札以三増可入弁事
  • 国中民百姓新儀之主執不可 任並御朱
    印面々被官人当方江奉公停止事
  • 山林竹林印判之外一切不可伐之自然不寄
    誰々無印判於伐之者押置雖交名可言上若
    令用捨不申之者其郷可為同罪事
  • 在々百姓等為 其所之後地郷江相越儀令停止
    畢若伴族於相拘輩者可加成敗事

  天正四年三月三日  勝家

要約すると…

  • 人手がいる時は僕のハンコ押してある書状で以って募集する事。
    ちゃんとバイト代払う場合もハンコ無しはダメやで。
    今は城の新築で人手がいる時やけど、農民は田畑を耕すんが仕事やから、こういう制度作ったんやで。
  • 名主や百姓がすでに持ってる年貢以外の雑税は前の通りに認めるよ。
  • 僕が派遣する使者への接待は一汁二菜酒一杯に制限する事。
  • 高札で示したけど…反銭(段銭=臨時の税)の場合は三増銭(良質ではないために3分の1で換算される銭=参照>>での納税もOK!
  • 百姓は勝手に誰かの家来になったらアカンし、信長さんの家来が僕の家来に鞍替えすんのも禁止な。
  • 僕がハンコついて承認した以外の場所の木を勝手に伐採したらアカンで。
  • 在住してる百姓が課役逃れで他所へ引っ越しするんも無しな。

…てな感じ。。。

武士と農民との対立を防ぐべく、その間に立ち、それでいて農村の復興と城下町の建設をうまく進めて行こうとする勝家さんの篤い思いが伝わってくるようです。

こうして…
離散した農民を呼び戻し、新田開発や検地を進め、北国街道を整備し、

さらに、「刀さらえ」と称する点検&摘発によって(おそらく一向一揆から)没収した武器を農機具に作り直したり、九頭竜川に舟橋を架けたりと、様々な事に手腕を発揮しました。

お察しの通り、これらの領国経営は、後に豊臣秀吉(とよとみひでよし)が行う刀狩や太閤検地(7月8日参照>>)先駆けとなったとも言われる見事な物だったのです。

あまりドラマではお目にかかれない勝家さんの領国経営・・・その見事さには、かのお市ちゃんも惚れ々々した事でしょうねv(^o^)vムハハ
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