かなのくわい結成と明治の漢字廃止論~日本語と漢字
明治十六年(1883年)7月1日、漢字を廃止してひらがな&カタカナのみによる国語表記を目指す団体=かなのくわいが結成されました。
・・・・・・
ご存知のように漢字は古代の中国から伝わったとされる物で(かつては王仁博士?>>)、それまで日本には文字は無かった?いや、「言葉を表す文字がなかった」というべきですかね?
「神代文字があった」という説もありますが伝説の域を越えない物ですし、もしあったとしても漢字を使う方が便利だったから漢字を利用しちゃった…というのが正解かもしれません。
そう…そもそもの日本での漢字使用は、あの『漢委奴國王(かんのわのなのこくおう)』の金印(2月23日参照>>)であったり、埼玉県の稲荷山古墳から出土した鉄剣にきざまれた『獲加多支鹵(わかたける=雄略天皇とされる)大王』の銘文(8月7日参照>>)であったり、
な部分から始まり、古代の中国との国交するのに便利だった事もあって、やがて公式文書や記録文書を漢文で書き残すようになるわけですが、それでも、まだ、日本語を漢字で表す事は無かったわけです。
ご存知の聖徳太子(しょうとくたいし)の十七条憲法の有名なフレーズは、
「一曰 以和為貴…」で始まる、、、
読み下しでは
「一に曰く、和をもって貴(とうと)しと成し…」となり、
ご覧の通り漢文で書かれています(くわしくは4月3日参照>>)。
しかし、いくら読み下しで何とかなるとは言え、日本語話者にとっては、中国語である漢文は難しく、出来れば日本語に近い文体がウレシイわけで、
やがて、それは日本語に近い文体と変化していくのです。
たとえば上記の十七条憲法のフレーズで言うなら
「以和為貴」を→「和以貴為」に漢字の順番を変えれば、そのまま「和(を)以(って)貴(しと)為(す)」って読めちゃうわけです。
この方式で書いてあるのが『古事記』ですね。
『日本書紀』は漢文ですが、『古事記』日本語で(3月17日参照>>)…というのは有名ですが、
それは…
↓は『古事記』の神代の始まり部分ですが…原文は
「天地初發之時
於高天原成神名
天之御中主神
次高御產巢日神
次神產巢日神
此三柱神者
並獨神成坐而
隱身也」
読み方は
「天地(が)初(めて)發之(あらわれし)時
高天原(に)成(った)神(の)名(は)
天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
次(に)高御産巣日神(たかみむすひのかみ)
次(に)神産巣日神(かみむすひのかみ)
此(の)三柱(の)神(は)
並(みな)獨神(ひとりがみ)(として)成(る)神(で)
身(を)隱(していた)」
どうですか?
慣れないとシンドイですが、「テニヲハ」+α的な送り仮名をふれば、ほぼ、そのまま読めますよね?
つまり漢字を使って日本語を表記しているわけです。
一方で、漢字を用いた和文表記に『万葉仮名』と呼ばれる物も出て来ます。
これは有名なのでご存知の方も多かろうと思いますが、『万葉集(まんようしゅう)』に残された歌に多く用いられた事で、そう呼ばれますが、一つの漢字を、漢字の意味は無視して「音」の響きで声に出す表記法として用いた物です。
たとえは大伴旅人(おおとものたびと)(3月4日参照>>)が神亀五年(728年)に詠んだ歌で
♪余能奈可波
牟奈之伎母乃等
志流等伎子
伊与余麻須万須
加奈之可利家理 ♪
「よのはかは
むなしきものと
しるときし
いよよますます
かなしかりけり」
と、ひらがなのように漢字を使っているわけです。
そんな中で、おそらくは同時進行的に、そんな表記法として用いるために漢字の一部を使って簡略化したカタカナが生まれるのです。
カタカナは主に漢文や経典を読む練習をする時に漢字の横に「ルビ」をふるために生まれたと言います。
確かに
日本語話者が漢文読むのは一苦労だし、まして経典を読むのには「ルビをふる」という行為はとても便利です。
なので、今でも外国から来た言葉をそのまま表記する場合はカタカナが用いられます・・・当時は中国語が主たる外国語ですからね。。。
やがて平安時代にはひらがなが誕生する中で、一つの漢字に対して、中国から伝わったまま詠む「音読み」と、日本語対応した読み方の「訓読み」が当てられるように。。。
ちなみに、音読みが複数ある場合があるのは、中国での呉(ご)の時代に伝わった、あるいは唐(とう)の時代に…明(みん)の時代に…と複数の伝わった時代の時間差が関係しているみたいですよ。
※ちなみのちなみに中国時代劇見てて、まず聞き取れるようになるのは、
お屋敷の門を叩きながら言う
「かいも~ん=開門」
ですよね~私もですww
やがて日本は、貴族や武士などの一部のエリートが読み書きできる段階を経て、大いなる平和をもたらした江戸時代に普及する寺子屋なる物のおかげで、
津津浦浦の一般人までもが読み書きできるよいう脅威の識字率を誇る時代となっていきます。
たとえば戦国末期に来日したキリスト教の宣教師たちは、日本人は常識があって頭の良い民族であるとしながらも、
「読み書きのできる人は限定的…」
と言ってるのに対し、
江戸末期に国後(くなしり)島近くで捕縛されたロシア人=ゴローニン(4月5日参照>>)なんかは、
「日本人は世界一教育が行き届いた国民で、読み書きできない者や自国の法律を知らない者は一人もいない」
と驚いています。
もちろん、彼だけではなく漂流者を装ってやってきたアメリカ人や開港後のイギリス大使なんかも…
まぁ、さすがに識字率が100%なわけないので、「一人もいない」は大袈裟でしょうが、
少なくとも、彼らはそんな人に会わなかった=簡単に出会えないほど皆が字をしっていた~というのは本当のところでしょう。
なんせ江戸中期には、すでにベストセラーなる物が誕生してた(1月8日参照>>)わけですから、それだけ文字を読める人が多くいないと本は売れませんからね~
とまぁ、ここまで、漢字の輸入の話から、その後、いかに日本人の識字率が高かったか…という話をしてきましたが、ここで今回のテーマ=「かなのくわい」のお話です。
かなのくわいとは、要は仮名の会・・・漢字を廃止して仮名(ひらがな&カタカナ)のみによる国語表記を目指そうと勧める仮名文字運動団体で
明治十六年(1883年)7月1日に結成され、一時は全国30ヶ所に支部を持つほどの大きな団体でありました。
実は幕末から明治の始め頃、このような漢字廃止論の一大ブームがやって来ていたのです。
それは、やはり西洋の文化がスゴイ!!~って事で文化や社会全体が西洋化する中で、
「難解な漢字の習得に時間を取られることが、日本の教育や文明化の妨げになっている」
「西洋なんかアルファベット26文字でっせ」
「国民全体の学問の道を容易にできる」
とばかりに、
早くも慶応二年(1866年)には、あの前島密(まえじまひそか)(4月27日参照>>)が、将軍の徳川慶喜(とくがわよしのぶ)に対して『漢字御廃止之儀』なる文書を献上していたのだとか。
前島は、維新が成った後の明治二年(1869年)や明治五年(1872年)にも集議院に建議を提出したり、建白書書いたりしてるので、かなりご熱心だったようですが、
この頃には、あの福沢諭吉(ふくざわゆきち)大先生も『文字之教(もじのおしえ)』の中で
「漢字ヲ交まじヘ用ルハ甚はなはダ不都合」
と漢字を使いながら言うてはりますので、それがトレンドというか最先端な考え方だったんでしょうね~
てか、すばらしい和製漢語を作って(1月31日参照>>)、母国語だけで最上級の教育を受けられるようにしてくれたんは君ら明治のインテリちゃうんかい!
と大先生たちに突っ込みつつ、
いや、ごめんなさいm(_ _)m
わたしは、ひらがなばかりのぶんしょうはほんとうによみにくいとかんじているので、そんけいするふくざわせんせいやまえじませんせいにはわるいのですが、やはり、かんじはいしろんにははんたいのたちばでやらせていただきます。
そんな中、
明治期にこれだけ盛り上がった仮名の会に代表される明治の漢字廃止論をひっさげた団体さんですが、結局は、その仮名づかいの使い方の違いによる対立、、、
たとえば、
歴史的仮名遣い派(伝統重視派)は、古くからの伝統的な表記=「てふてふ」「くわし」などを守ろうとする派閥で、
それに対し、
表音的仮名遣い派(現代革新派)は、耳で聞こえる通りの発音=「ちょうちょう」「かし」などで書こうとする派閥で、
…と、
このような派閥同士が大いに対立して、この内部分裂が仇となって、徐々に議論は下火になり、今ではほとんど議論されないようになりました。
とは言え、この問題は一言では片づけられない課題で、現在でも学者さんの中には漢字廃止論を唱える方もいて、未だに議論の余地がある学問ではありますので、
あくまで、このページでは「個人的には漢字があった方が良いと私が思っている」だけで公けの見解ではないという方向でよろしくお願いします。
そうなんですよね~
かつては日本と同じく韓国やベトナムなど漢字を輸入して使ってた国や、シンガポールやマレーシアのように中国からの移住者が多くて漢字を使うようなった国が複数あったのですが、今では、もう、中国とに日本だけですよね~
大事にしなくっちゃv(^o^)v
そんな中でも、日本語って未だにそのルーツがハッキリせず、世界の中でも孤立した言語で、しかも文字がひらがな&カタカナ&漢字がある事で、外国の方が学ぶにあたって難易度MAXな言語なんだそうで…って、
MAXって言っちゃったww
そう…日本語は基本の3種の文字以外に、上記のようにアルファベットで表記する場合もあり、とある博物館で永久保存展示となった絵文字もあり・・・
なので日本語を表記するための文字は、実は5種類の文字がある~なんて事も言われ、
(そこに溢れんばかりのオノマトペを足す場合もありとかww)
さらにその5種類に「空気」が加わって、実は6種類だと。。。(←コレはジョークです)
確かに空気は「読む」物ではありますけどねww
とにもかくにも、この明治の始めと、その後も、あの大東亜戦争後に漢字廃止の危機があったようですが、いずれも乗り越えての今があります。
「橋」と「端」と「箸」…
「墨」に「角」に「済」に「炭」に「澄」…
「花」と「鼻」が違うのに「花」と「華」も微妙に違うわけですものね。
やはり漢字表記が大事ですものね~
あと、日本生まれの漢字=国字(和製漢字)は、見ててオモシロイですよね~
風が止まるから「凪=なぎ」
風が木を揺らすから「凩=こがらし」
人が動くから「働く」
お日様みたいに明るいから「𣇵=さやか」
神様の木だから「榊=さかき」
などなど…話はつきないワ
…にしても、
AIが変な漢字の画像を出してくると、
「まだまだAIが人に取って代わるのはムリやろ」
と、思う今日この頃。。。
(←宮仕えの女性を希望したのに…なんやねんコレ
…1万歩譲って床の間や着物の変さはデザインの自由性とする事もできるが、畳に土足は許せんゾ!)
それだけ漢字は難しい。。。
けど、やっぱり、漢字は佳き~
日本語と漢字の関係もオモシロイな~
と思う次第です・・・
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コメント
補足ですが、漢字廃止論の要因の一つが漢字が活版印刷と相性が良くないことが大きかったようです。
なにしろ当時の印刷法の活版印刷はハンコみたいな活字を組み合わせて印刷する方法ですからアルファベット26文字に比べて何千文字も存在する漢字はそれだけ大量の活字を必要として印刷に不便だったのです。
国で決まりを定めて使用する漢字の数を制約しようとしたのも出版業界の負担を減らすのも目的の一つで、現代逆に使用できる漢字の数が昔より増やされているのも活版印刷がもはや主流ではなくなり使用する漢字を増やしても出版業界の負担があまりないからでもあるのです。
歴史の大きな流れというのはこういった技術的要素も大きく影響しているわけですね。
投稿: ベルトラン | 2026年7月 1日 (水) 12時27分
ベルトランさん、こんにちは~
今回は、記事が長くなるので、活版印刷のくだりは割愛させていただきました。
古くはタイプライターやワープロ、さらにPCでも同様の問題が言われて久しく、
このブログでは【戦国の活版印刷と世界最古の印刷物】のページ>>でも少し触れてますので、今回はスルーさせていただこうかと。。。
申し訳ないです。
投稿: 茶々 | 2026年7月 1日 (水) 14時57分