2008年11月23日 (日)

勤労感謝の日~新嘗祭は、もう一つの新年行事?

 

11月23日は勤労感謝の日という祝日です。

勤労感謝の日は、「勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう」日なのだそうですが、もともと戦前は、この11月23日は新嘗祭(にいなめさい)という祝日で、その新嘗祭の日付をそのまま、勤労感謝の日といふうに改めたものなのです。

Inahogokokuhouzyouseppukucc新嘗祭の「嘗」という字は、中国の秋の祭りを意味する文字で、『古事記』『日本書紀』に登場する「爾比那閇」「爾波能阿」の文字を、「新嘗」に置き換えたもの・・・もともと「ナメ」という言葉が「食する」とか「試みる」とかの意味を持っているそうなので、要するに、新嘗祭とは収穫祭の事で、その秋に収穫された新しい穀物を神前に供えてともに喜び、祭典や祝宴を開いて、それを食するお祭りだったわけです。

しかし、昔から新嘗祭という名称で、この行事が行われてきたのは宮中で、天皇自らが行う新嘗と関連の神社で行われる新嘗祭があって、一般庶民が行うこの行事の事は「田の神祭り」「猪の子祭り」「十日夜(とおかんや)」「刈り上げ祭り」などと呼ばれていたのです。

戦前は新嘗祭だったのが、戦後に勤労感謝の日に変わるのは、そこンとこが引っかかったのかもかも知れませんが、まぁ、もともと農耕民族だった日本にとって、昔は、労働と言えば、イコール農業に従事する事でしたが、現在は、ありとあらゆる労働があるわけで、そのすべての成果に感謝するとすれば、農業における収穫だけではなく、「すべての労働、すべての生産に感謝する」という意味の勤労感謝の日っていうのも悪くはないでしょうね。

ところで、その新嘗祭・・・もともとは、毎年、旧暦の11月の2回目の卯(う)の日に行われていたのを、明治五年(1872年)の太陽暦が採用された時(11月9日参照>>)に、そのまま新暦に置き換えて新嘗祭を行うと、翌年の1月になってしまうため、それならば・・・と、新暦の11月の2回目の卯の日に行う事になり、それが、たまたま11月23日だったので、その年から、新嘗祭は11月23日に行われるようになったそうです。

wikiをはじめ、多くの新嘗祭の解説で・・・
「たまたま、日本が太陽暦を導入した年の11月の2回目の卯の日が11月23日だったために、その日が新嘗祭と決定されたが、11月23日という日付自体には深い意味がない」
とされているところが多いのですが、どうやら、そうではないかも知れませんよ。

11月23日は、昔からけっこう重要視されていた日付だったのです。

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現在、一年のスタートの日・・・と言えば、お正月

この正月は、今でも「新春」「初春」なんていう挨拶をする事でもおわかりのように、一年を24に分けた二十四節季(10月8日参照>>)の立春の事で、現在の日付では、2月4日前後・・・あの「鬼は~外~」豆まきが、一年の邪気を祓う年末行事の名残り(2月3日参照>>)で、そうやって、昔は厄を祓ってから、新年(立春)を迎えていたわけですが、日本には、昔から、もう一つ、スタートの日と呼べる日があったんです。

それは、冬至・・・。

昨年、【えと・十二支の由来と意味】(11月9日参照>>)で書かせていただいたように、十二支は、もともと一年を12に分けた月の呼び名として生まれ、その場合は、冬至の日がスタートの日となります。

最初の月にねずみが当てられたのも、「陰と陽の分かれ道=すべてが0になって新しくスタートする」から・・・という事も書かせていただきました。

つまり、この冬至の日がゼロの日という事になります。

・・・で、今の太陽暦では、冬至は12月23日前後ですが、旧暦を見てみると・・・そう、これが11月23日前後なんですね~。

しかも、昔は、陰陽師や占い師ならともかく、一般庶民は、そこまで正確に暦を知っていたわけではないので、ほとんどの人が、11月23日を冬至と考えて行動していたのです。

その名残りが大師講だと言われています。

一般的には、11月23日の大師講の大師は弘法大師の事だと言われ、その忌日の24日に行われる事もありますが、以前、書かせていただいたように、この日は弘法大師が村にやってきて雪を降らせるという伝説(2007年11月23日参照>>)の日でもあり、ご紹介した丹波以外に、東北北陸にもこの弘法大師の伝説が残っています。

また、慈恵大師良源の忌日(実際のご命日は1月3日です>>)でもある事から大師講の大師は慈恵大師とする説も、そして、中国天台大師(天台宗の開祖・知顗、智者大師とも)の大師だとも、さらに、職人さんの間では、大師がたいしとも読める事から聖徳太子の大師であるなどという様々な説がありますが、それだけ沢山の説あるという事は、イコールそれらの説が生まれるずっと前から、その日が「たいしの日」と呼ばれていた事を意味するのではないでしょうか?

おそらく、それらの説のおおもととなったのが、日本に仏教が伝わる以前から信仰されていた越年に福をもたらす冬至の神=大子神(おおいこがみ・たいしがみ)であったと考えられます。

つまり大師講の大師は大子神の大子?・・・

その昔、村々を訪れて収穫をもたらしてくれる大子神にめずらしい食べ物をお供えしてすべてをゼロにして新たなスタートを切る日が冬至=11月23日だったんです。

大子神信仰と新嘗祭・・・どちらも、その年の収穫を祝い、来年の収穫を願う行事・・・無縁ではないように思えます。

しかも、新嘗祭がはっきりと文献に登場するのは、皇極天皇元年(642年)の11月の2回目の卯の日で、残念ながら、この年は11月23日ではなく11月16日ですが、昔の新嘗祭では、前日に鎮魂祭(たましずめのまつり)という明らかに邪気を祓う行事が行われていて、新嘗祭が新年を祝う行事である可能性大です。

さらに、中国の唐の時代の『祠令』には、「天子は夏至に地神を祭り、冬至に天を祭る」とのくだりもあり、その中国の思想も、影響があったかも知れません。

・・・とは言え、新嘗祭が、そして現在の新嘗祭=勤労感謝の日が11月23日になったのも、偶然ではないかも知れない・・・という事は、心の隅に置いておいて、とりあえずは、本日の休日を、勤労に感謝しながら、楽しく過ごさせていただく事といたしましょう。
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