2024年1月 1日 (月)

年始のごあいさつ~今年は『光る君へ』ですね!

 

あけましておめでとうございます

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本年もよろしくお願いいたします

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Fuziwarasikeizumitinagavskoretika5 ←藤原氏略系図(クリックで大きく)

今年の大河ドラマは、あの『風と雲と虹と』以来の平安モノ。。。

戦国好きの茶々ではありますが、やはり1年を通しての大河=光る君へには期待がかかります。

劇中劇の『源氏物語』は出るのか?出ないのか?
昨年の中国史劇味は続くのか?払拭されるのか?w

ホント、楽しみですね~

一応、神代から現代までの通史を謳っているこのブログですから、平安の事もチョコチョコ書いておりますので、ドラマを見るうえでのヒントになれば幸いです。

…てな事で、関連ありそうなページをご紹介
ネタバレOKの方は、のリンクから見ていただけるとありがたいです。

●987年:【賀茂祭~見物で投石被害】>>
●988年:【藤原道長の橘淑信を拉致事件】>>
●990年:【藤原定子が入内】>>
●995年:【道長VS伊周の七条大路の合戦】>>
●996年:【花山院闘乱事件が発覚】>>
●999年:【藤原彰子が入内】>>
●1005年:【安倍晴明が死去】>>
●1007年:【道長暗殺計画が発覚】>>
●1008年:【花山天皇が崩御】>>
●    :【道長宅の宴会で源氏物語初登場】>>
●1011年:【藤原道長と三条天皇】>>
●    :【一条天皇が譲位】>>
●1012年:【道長三男の藤原顕信が出家】>>
●1013年:【藤原能信の牛車暴行事件】>>
●1014年:【藤原兼隆による実資の下女襲撃事件】>>
●    :【藤原頼行が藤原能信の従者を殺害】>>
●1016年:【大江至孝が強姦未遂から殺人】>>
●1018年:【藤原兼房が宴会で暴れる事件】>>
●    :【藤原道長が♪この世をば♪の歌を詠む】>>
●1019年:【刀伊の入寇~日本を護った藤原隆家】>>
●1020年:【源政職が殺害される】>>
●1022年:【藤原能信&教通の兄弟ゲンカ】>>
●1024年:【藤原兼経の五節舞姫と立て籠り事件】>>
●1025年:【藤原頼通が津守致任を暴行事件】>>
●1027年:【賀茂祭の見物場所の取り合い】>>
●    :【藤原道長が死去】>>
●    :【源氏物語を書いて地獄に堕ちた紫式部】>>

・・・とこうしてみると
祭り見物の場所の取り合いとか、兄弟ゲンカとか…
なんや、ノホホンとしてるな~ と思いきや、これが暴力事件に発展してますから、平安貴族は侮れません(笑

原作者でもある脚本家さんはインタビューで
「平安王朝の権力闘争といったセックス&バイオレンスを描きたい」
とおっしゃっていますので、

平安王朝の雅な一面とはうらはらな
なかなかハードな場面もあるかも知れませんね~

楽しみです。

最後になりましたが、今年も、ブログ=今日は何の日?徒然日記をよろしくお願いしたします。
 .

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2022年1月 1日 (土)

新年のごあいさつ~茶々の年賀状2022

🎍謹んで新春のお慶びを🎍
🎌     申し上げます🎌

昨年も、デルタやらオミクロンやら…と大変な1年となりましたが、
不肖私…なんとか、つつがなく新年を迎えました。

未だ、楽観はできぬ時節ではありますが、
粛々と、日々の行動に気をつけながら、
今年一年、また新たな歴史を紡いでまいりましょう。

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本年もまた、
歴史の、あんな事、こんな事をお話しながら…

末永く、
『今日は何の日?徒然日記』
を、よろしくお願いいたします。

皆さまにとって、良い年でありますように…
 .

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2021年1月 1日 (金)

新年のごあいさつ~茶々の年賀状

 

🎍謹んで新春のお慶びを🎍
🎌     申し上げます🎌

昨年は、色んな事があり、忘れられない1年となりましたが、
そのぶん、大切な事や無くしてはならない物に気づかされる日々でもありました。

こうして、一日一日が、未来への歴史として紡がれていく物なのでしょうね。

未だ、楽観はできぬ時節ではありますが、
粛々と、日々の行動に気をつけながら、
今年一年、また新たな歴史を紡いでまいりましょう。

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本年もまた、
歴史の、あんな事、こんな事をお話しながら…

末永く、
『今日は何の日?徒然日記』
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2020年2月 3日 (月)

恵方巻の風習と節分お化けの記憶

 

今日、2月3日は節分・・・

節分とは、立春を明日にひかえた、その前日の冬から春へと向かう季節の分かれ目の事で、昔は、この日が一年の始まり・・・今でも、お正月の挨拶に「初春」とか「迎春」とかって言うのは、この立春が昔のお正月だったからで、その前日に豆をまいて去って行く年の邪気を払うのが、豆まき・・・くわしくは、以前書かせていただいた【節分・豆まきの起源と鬼】のページ>>で見ていただくとして、本日は、その節分の行事として、全国的に定着しつつある?(あるいはすでに定着している?)恵方巻(えほうまき)について・・・

ちなみに、恵方巻とは、節分の日に、その年の恵方(えほう=正月の神様がやって来る方向もしくは縁起が良い方角)を向いて、切っていない巻きずし1本を、無言で食べきると良い事がある・・・てな風習ですが、

実は、この風習について、本日は、少々の思う所を吐露させていただきたいと思います。

・・・というのも、この恵方巻が全国ネットになった事で、その起源というか由来というか…な部分で、不肖茶々が、これまで聞いた事もないような話が流布しているからです。

もちろん、私が聞いた事無いので「それは間違い」という気は毛頭ございません。

私が聞いた事ないだけで、実際には、それがルーツなのかも知れませんからね。

ただ、我が家では、大正生まれの祖母が物心ついた頃からですから、おそらくは70~80年近く前から節分に巻きずしをまるかぶりして来たわけですので(さすがに物のない戦時中は中断してたと思いますが…)、そんな我家が「その由来は聞いた事がない」という事だけはお伝えしておきたく、自分への備忘録的なつもりで書かせていただいときます。

その「聞いた事が無い」という恵方巻の由来は、
「明治の終わりか大正の初め頃に、船場の花街で、男性のアレに見立てた巻きずしを、遊女や芸者さんたちにまるかぶりさせて、その様子を旦那衆が見て楽しんでいたのが起源」というような内容の話です。

そのために
「恵方巻の由来を聞いて、恵方巻が嫌いになった」
とか
「あんなゲスな由来の恵方巻をうれしそうに食べてる人はバカなの?」
みたいな書き込みが、ここ2~3年前からネット上に散見されるようになり、上記の通り、7~80年ほど前から、節分に巻きずしをまるかぶりしていた家の者としては、とても悲しい気持ちになっているワケです。

なので、あらためて言わせていただきます。。。
大阪生まれの大阪育ちで、ウチの家系では80年くらい前から食べておりますが、
「そんな話は聞いた事がありません」
(どなたか「男性のアレ」の出典をご存知の方、お知らせください)

また、恵方巻の由来はともかく、歴史上、大阪の船場に花街があった事はありません。
船場は昔から商いの町ですから。。。

不肖私、今は別の場所に住んでいるおけいはん(京阪電車に乗る人)ですが、このブログでもチョイチョイお話しています通り、実家は大阪城の近くです。

ただ、そこは、瀬戸内海のとある島出身の水軍末裔の父が大阪に出て来て商売を始めた場所なので、80年ほど前から節分に巻きずしを丸かぶりしていた母方の実家は別の場所にあるのですが、さほど遠くはない場所ではあります。

母方のご先祖は高松の士族でしたが、例の明治維新で禄がもらえなくなった(負け組やしね(ToT))事を受けて、大阪に出てきて和菓子屋を営んでいたと聞いています。

そこで思うのは、
明治から大正&昭和を生きた母方の曾祖父は、落語家さんのタニマチやったり、芸者遊びに興じる事もある芸事が好きな人だったと聞いていますが、もし例の「男性のシンボルに見立てた巻きずしを…」って話が本当の事だとすると、ウチの曾祖父は、同時代にどこかの花街にも出入りしていたであろうにも関わらず、そんなオゲレツな事を、自分の娘や孫にさせていた事になりますよね?

さすがに身内として、それは信じたくない・・・

なんせ、普段の曾祖父は、「ウチは士族だから…」(←スンマセンm(_ _)m昔の人なので…許してやってください)と、コスイ事やズルイ事を嫌う厳格な明治生まれの人だったと聞いておりますので、いくら芸事が好きでも、遊びとそうでない場合をキッチリ分けていたと思うのです。

なので、私としては(希望的観測も含めて)、やっぱり1年の無事を祈っての風習なんやと思いたいです~知らんけど…(^o^:)

もちろん「恵方巻」という名前は、大阪にもともとあった、この巻きずし丸かぶりの風習を知ったセブンイレブンが1990年頃から「恵方巻」の名前で売り出して、徐々に全国に広がっていったという事は、周知の事実です。

それ以前は、ウチでも、単に「巻きずし丸かぶり」と呼んでいました。

また1950年代頃までは、節分の日にお寿司屋さんに行って巻きずしを注文した時にも、
「切らんといてね。。。丸かぶり用のヤツやから」
と念を押さないと、いつものように切られてしまうという事があったようですので、その頃は、未だ大阪のお寿司屋さんでも、すべてには浸透しておらず、あくまで、知ってる人は知ってる一部地域の風習だったような事も聞いております。

ただ、ここらあたりまでは一部地域で行われていた風習を、皆がお寿司を味わえるようになった戦後の高度成長期に合わせて、「一儲けしよう」と考えたお寿司屋さんが、その宣伝に使った事は確かだと思います。

なんせ、兵庫県出身の歌手の南野陽子(みなみのようこ)さんがアイドル全盛時代の頃、東京で収録のとある歌番組で
司会者さん:「陽子ちゃんの実家の地域では節分に巻きず
       しを丸かぶりする風習があるんだってね」

陽子さん :「はい、そうです」
観客   :「へぇ~」(←ちょっと驚いた感じのへぇ~)
というやり取りがあったので、この1980年代頃には、すでに関西一帯に広がっていたわけですから、わずか30年で、その広がりのスピードがハンパない!
(逆に私は「えっ?アレ全国的やなかったん?」と驚いた記憶がありますww)

以上が、私の記憶&実家で聞いた話ですが、「昔からやっていた幸せを呼ぶ行事」というだけで、起源そのものは、結局わからず仕舞いで、申し訳ないです。
Setubun
ところで、大阪の節分の風習といえば「節分お化け」というのもあります。

それこそ、私が、まだ小さい頃には残っていた風習ですが(お前いくつやねん!というツッコミはなしで…)、この「お化け」というのは、いわゆる「化け物」=「Q太郎のオバケ」ではなく、「化ける」あるいは「変身する」という意味で、節分の夜に仮装して出歩くのです。

つまり、今で言えばハロウィンみたいな感じです。

あまりに小さい頃なので、仮装して出歩いて何をしたのか覚えていないのですが、自分が巫女さんや白拍子のような恰好して写っている写真などが残っているし、「節分お化け」という名称も覚えているのです。

で、先日、京都祇園の花街では、今も、この「節分お化け」が行われている事を知って、その界隈に住んでおられた知り合いのお婆ちゃまに確認してみたところ、
「昔は大阪の方が盛んやったのよ~」
との事。。。

やはり、幼い頃の記憶は間違っていませんでした。

大阪の商人たちの間で行われていた「節分お化け」が、近畿周辺の町衆に徐々に広がって行ったものの、平成&令和の今ではすたれしまって、現在は町おこしの一環あるいはイベントとして祇園の花街などで行われているようです。

皆の衆!
日本人なら、ハロウィンより「節分お化け」でっせ!
と言いたいところですが、1年で最も寒いであろうこの時期に、万が一、肌を露出した仮装をしようという人がいたら困るので、やっぱムリそうかな?(^o^:)
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2020年1月 1日 (水)

新年のごあいさつ…そして今年は「麒麟がくる」

 

新年 明けましておめでとうございます

2020coco

今年も、歴史のあんな事、こんな事、
色々と楽しんでいきましょう!

ところで…
今年の大河ドラマ「麒麟がくる」

私も、かなり昔からの大河ドラマファンですが、やはり大好きな戦国時代の一年だとウレシさ倍増です。

題名にある「麒麟」は、ご存知のように動物園にいるあのキリンではなく、中国の神話に登場する想像上の生き物・・・いわゆる霊獣(れいじゅう)とされる麒麟(きりん)ですね。

霊獣は瑞獣(ずいじゅう)とも言われ、この世に存在するありとあらゆる動物たちのご先祖、あるいは、その種の根源であり長であるとされ、瑞兆(ずいちょう=良い事が起こる前兆・吉兆)=つまり、良い事が起こる時に姿を現すとされています。

霊獣の中でも、四霊(しれい=あるいは四神)に含まれる4種の瑞獣は特別視されていて、麒麟は、その4種の中に入っています。

4種の中で、最もよく知られているのが(りゅう=応竜)・・・日本でも多くの伝説や昔話に登場し、竜神伝説など恵みの雨をもたらす神獣としても知られていますが、中国では徳のある皇帝のシンボルとされ、建物や絵画等にも多く用いられています。

一方、徳のある皇后のシンボルに用いられるのが鳳凰(ほうおう)・・・クジャクのような鳥の姿で、雄が「鳳(ほう)、雌が「凰(おう)なので、つまりは鳳凰と言えば雄雌一対の事を指しますので「皇帝の龍に対する皇后の鳳凰」とされる一方で、鳳凰だけでも徳の高い王者の出現を指す場合もあるようです。

次に霊亀(れいき)・・・字でお察しの通り、霊的な亀の事で、仙人が住むとされる蓬莱山(ほうらいざん)を背負う姿である事から、長寿を表すとともに、治水に長けた帝王の出現を現しているとされます。

そして麒麟・・・あらゆる獣の長であり、仁の心を持つ君主が出現する時に姿を現すとされ、一方で、殺生を嫌いどんな生命も傷つけない。。。移動する時には小さなアリも避けて通るのだとか・・・

大河ドラマの麒麟は、この「仁の心を持つ君主」「殺生を嫌う」あたりから発展した「麒麟がくる」なのでしょうね。

瑞獣には、四霊のほかにも、
平安な世に現れる霊鳥=(らん)
善悪を冷静に判断できる優れた審判者が現れる前兆で羊に似た一角獣の獬豸(かいち)
王の守り神でありながら、その王に徳が無いと見るや革命を起こすという九尾の狐(きゅうびのきつね)
などがあります。

・・・で、ここまで書いててお察しの通り、私個人的に抱く明智光秀(あけちみつひで)という人のイメージは、麒麟というよりは九尾の狐のなのですが、「九尾の狐がくる」では、リズムが合わないし、なんか化けて騙されそうでコワイww

ただ、公式サイトによると麒麟出現の対象者が光秀とは決まってない(←メイン画面の長谷川博巳さんの後ろに麒麟おるけどね)みたいですが、なんだかんだで主役なんですから、主役の特権を満載しつつ、「仁の心を持つ」と「殺生を嫌う」のイメージで、ダイナミックに麒麟がやって来る所を描いていただきたと思っています。

またもや信長さんが殺生しまくりの悪人に描かれそうですが、そこンとこはドラマなので「是非に及ばず」。。。ホント楽しみにしてます。

ちなみに、おそらくは序盤あたりで放送されるであろう明智城(あけちじょう=岐阜県可児市)の落城については【光安の自刃で明智城落城~明智光秀は脱出?】>>で、

それ以外の明智光秀の関連ページは、
 ●将軍・足利義昭擁立で初登場!謎の明智光秀
 ●信長上洛後…本圀寺の変と桂川の戦い
 ●明智光秀の丹波攻略・前半戦~籾井城の戦い
 ●織田信長軍による福知山攻略戦
 ●八上城攻防戦は光秀の謀反のきっかけとなったか?
 ●「丹波の赤鬼」赤井直正と明智光秀の黒井城・攻略
 ●明智光秀の丹波攻略~和藤合戦と山家城の戦い
 ●明智光秀と丹波・福知山の明智藪
 ●愛宕山での連歌会の句は本能寺の意思表明か?
 ●天正十年6月1日~本能寺・前夜
 ●本能寺の変~『信長公記』より
 ●本能寺~その日の安土城と留守役・蒲生賢秀
 ●本能寺の変~数時間のタイム・ラグを埋める物は?
 ●本能寺の変~家康、暗殺計画説
 ●明智光秀と細川幽斎~二人の別れ道
 ●洞ヶ峠を決め込んだのは明智光秀
 ●古文書の虚偽と真実~これぞ歴史の醍醐味!
 ●明智光秀と斉藤利三と長宗我部元親と…
 ●天下分け目の天王山!山崎の合戦
 ●黒衣の宰相・天海=明智光秀説
 ●光秀の手紙の原本発見(2017年ニュース)
 ●本能寺へのルート?明智越(史跡巡り)
 ●戦国・安土の年表
などからご覧いただければ幸いです。

 .
文末になりましたが、
昨年同様、本年もよろしくお願い致します。
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2019年3月22日 (金)

リニューアル後のココログが変です!

ココログは先日の3月19日の1時~メンテナンスに入り、大幅リニューアルをされたのですが、その後、とてつもない不具合満載状態となってます。

幸いな事に、このブログはちゃんと表示され、私自身も管理画面にログインでき、こうして新しい記事を書く事ができていますが、未だにブログそのもが表示されない方や、ログインできなくて新しい記事も書けないでいる管理人の方もおられるようです。
(しかもメッチャ使い難いww)

このブログでも、サムネイル画像(ブログ内にある小さな画像)は表示されるものの、本来なら、それをクリックすれば表示される大きな画像が表示できずにいます
(↑この問題は3月22日に解消されました!)

HTMLタグを見てみると、どうやら今回のリニューアルで、大きい画像のアドレスが変わってしまったようで……
やむなく、メンテギリギリの時間にupした最新ページだけは、自分でHTMLを書き換えて、何とか表示できるようにしましたが、

ご存知のように、約2500ページほどある、このブログ……
一つ一つを手動で書き換えていくのは、ものズンゴイ時間と手間がかかります。

しかも、それが初期の不具合で、今後、改善されれば、またそれに合わせて書き換えねばならなくなってしまうため、今しばらく様子を見ようと思っています。
(不具合の報告は、すでにnifty運営側にしてあります)

なので、現段階では、以前の記事でブログ記事内にある画像をクリックしていただいても、黒い画面が出るだけになってしまいますが、今しばらくご辛抱願います。

上記の画像に関する不具合は、すでに解消されたのですが、
その後、4~5日経って気づいたのですが、どうやら、一部の個別ページのアドレスが変わってしまっているのです。

なので、記事中で「(●●参照>>)」てな感じでリンクを貼っている場合、そこをクリックしても、「ブログがありません」的な表示になってしまって……困惑しております。

気付いた場所から、手打ちでリンクを貼りなおしておりますが、なんせ2500ページほどあるため、確認にも時間がかかりますので、もし、リンク切れになっている箇所に気づかれましたら、コメント等でお知らせいただければありがたいです。

他にも、チョイチョイ変な部分があるかも…ですが、徐々に解消されていくと思いますので、よろしくお願いします。

 

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2019年1月 2日 (水)

新年のごあいさつ&猪と摩利支天の話

 

新年 明けましておめでとうございます

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平成最後のお正月となった今年はイノシシ年・・・という事で、古い川柳に
♪猪を 踏台にする 摩利支天 ♪
と謳われた摩利支天(まりしてん)イラストを描いてみました。
(今年の大河ドラマは「いだてん(韋駄天)ですがww)

摩利支天は勝利の神とされる事から、日本でも古くから武士の守り本尊として信仰を集めています。

梵名=マリーチ(Marich)と呼ばれていた音訳から、日本でも摩利支天と呼ばれるようになりますが、もともとのマリーチとは威光とか陽炎(かげろう)とかって意味だそうで、その光群を神格化した物で、日天の前で常に疾走していて阿修羅(あしゅら=一般的に悪鬼神や悪者の転生とされる)の軍をやっつけてくれているのだそう・・・まるでSPですな(だから武士の守り神なのね)

そして
「日は彼を見ざるも彼よく日を見る」
つまり、目の前で防御してもらってる日天でさえ摩利支天は見えないのに、摩利支天は日天を見つつ常に働いている・・・と、なんかカッコイイ~~(*゚▽゚)ノ

もちろん、日天だけではなく、私たちをも人知れず守ってくれているわけですが・・・

で、なぜ見えないか?というと、先に紹介したように「常に疾走している」=つまり、その動きが速すぎて見えないという事・・・

そのスピードの速さから、猪突猛進のイメージのある猪に「乗っている」あるいは「踏台にしている」という発想から、イノシシとともに描かれている事が多いのです。

仏画としては天女のように描かれたり、片手に弓を持っている姿が多い(手が8本ある場合もあり)のですが、「掌中に天扇を持つ」という事でイラストでも、そんな感じで描かせていただきました。

さぁ、今年は摩利支天の如く、イノシシ(年)をステップに、大きくジャンプできる年にしようではありませんか!

本年も
「今日は何の日?徒然日記」
をよろしくお願いします。。。。m(_ _)m

 .

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2018年5月29日 (火)

『馬乗り袴』をリメイクした『たっつけ袴=カルサン』の作り方

 

戦う戦国女子の必須アイテム『たっつけ袴(もどき)を作ってみました~
(注:あくまで「もどき」&「なんちゃって」です)

・‥…━━━☆

5月29日は、ご)(ふ)(く)の語呂合わせで、「呉服の日」って事で、以前は『江戸時代の帯結び』の話(2012年5月29日参照>>)なんかもさせていただきましたが、本日は、自分で作っちゃった話です(*´v゚*)ゞ

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『たっつけ袴』とは、大河ドラマ等の戦国時代劇で、奥方や姫が、馬に乗る時、あるいは、自身の城が城攻めに遭った時などに、小袖の下にはくアレ・・・
(戦国時代は「カルサン」と呼ばれていたらしい)

ドラマ出演中の女優さんの写真を勝手にブログに貼るわけにはいかないので、どんな物かを確認されたい方は「大河ドラマ 姫 乗馬」で画像検索してみてください。

『江』の時の上野樹里さんや『直虎』芝咲コウさんなどのたっつけ袴姿のお写真が出て来ると思います。
●追記:大河ドラマ「江」のクランアップの時のニュース記事がありました(コチラ>>別窓で開きます) ・・・コレコレ(o^-^o)コレです!

「ええなぁ」「戦国好きとしては着てみたいな~」と思いながらも、巷の呉服屋さんには売ってるの見た事無いし、何でも揃うさすがの「A→Z」さんでも、たっつけ袴は、忍者装束か祭りイベント用か南京玉すだれ装束か・・・しかも、けっこうイイ値段がする(;ω;)

「なら、作るしかないか~」とは思うものの、和裁どころか洋裁の知識も学校の家庭科で止まっている茶々といたしましては、イチから作るのは至難のワザ・・・つくづく、こういうのを見た目だけでイチから作っちゃう巷のコスプレイヤーさんは、エライ!

Umanoribakama って、思ってたところに、某ネット通販サイト(結局A→Zですが…)で、コスプレ用の安価な『馬乗り袴(←)を発見!
2807円でした…これは反物を買うより安いかも?です)

これをアレンジするだけならいけるかも!!
とばかりにチャレンジしてみました~

ちなみに『馬乗り袴』とは、ズボンのように右足&左足に分かれてる袴の事で、一つの筒状になっているスカートのような袴は『行燈(あんどん)袴』と言います。

コスプレ用ではなく、普通の着物通販のサイトでも、男性用の安い物なら7~8000円くらいからありますし(もちろん高い物はキリがないです)、リサイクル着物のお店なら3~4000円くらいの掘り出し物もありますヨ(残念ながら、着物通販や呉服屋さんで女性用の馬乗り袴を売ってるのを、私は見た事ありません…女性用は行燈袴ばかりです)

そして、さらに・・・
Datezimem いつも見に行く着物通販サイトで、すでに白の伊達締め(だてじめ=着付けの際に帯の下に締めるヤツ)は見つけていたので、早速、その伊達締めを2本購入・・・

Daezime 上の伊達締めは夏物の伸縮性のあるメッシュでマジックテープで止めるタイプ(大特価の250円でした)

下の伊達締めはお腹部分に芯が入ってる一般的な伊達締めです(これも大特価500円

上記の通り、材料費は合計=3557円!
白の伊達締めは必須ではありませんが、大河ドラマの戦国の姫様は、ほとんどが、袴の紐の部分は白ですし、何たって、コレを付けておくと着やすいですから・・・

で・・・作り方は↓です。
Tattukebakamatukurikata

1、まずは、ウエスト部分の紐と、両足の裾から30cmほどの部分をハサミでカット。
(ご自分に合うサイズを確認してカットして下さいね)

2、カットした筒状の裾部分の片方の端っこを斜めに縫います。
(これも、ご自身のサイズで…これで良いと思ったら、いらない端っこはカット)

3、袴の上部分と切って縫った裾部分を縫い合わせ。
(袴は前部分にヒダがあるので、ヒダの折り目部分はそのままに、残った部分は裾部分と合うように等間隔でヒダを作って)

4、袴のウエスト部分の前後外側に伊達締めを縫いつけます。
(私の場合、後ろ側(背中)にメッシュのを、前側(お腹)に普通の伊達締めを縫いつけました…メッシュのは伸縮性があるので、背中の中心部分に楯に1本線を書くように、前部分の伊達締めは、芯が入ってるので、芯を避けるように伊達締めの下側を袴の紐の下側ピッタシに合わせて横に縫いつけました)

5、最後に、1で切った袴の紐を、切った部分をキレイに整えておいて、膝から下の部分に結ぶ用に使います。
(必要なら固定する意味で、袴のふくらはぎ部分に縫いつけるとイイです)

以上、最初の切るところから、わずか20分で完成しました~
Dscf3811tf3c600 完成品がコレ←です。
(あくまでそれっぽく見えるナンチャッテたっつけ袴ですが)

袴をはく時は、本来は、前からはく(前の袴をお腹に宛て紐を結ぶ)のですが、この『たっつけ袴もどき』は、先に背中側のメッシュの伊達締めを締めてから、前の伊達締めの芯の部分をシッカリお腹=メッシュの伊達締めの上に宛てて、1回まわして前で結ぶと、はきやすいし、楽です。

いかがでしょう?

ついでに、もともと、少し(ゆき=背中から手首までの長さ)が狭い、母からのお下がり着物の袖を、さらに小袖風にアレンジして合わせてみました~

これで、いつ戦国時代にタイムスリップしても、即座に戦えます!
わくわくp(^-^q=p^-^)qウキウキ

で、着てみて思った事は・・・
これ、メッチャ楽で動きやすいです。

これなら、乗馬はもちろん、山登りだってできるし、忍者のように素早く行動できるのも納得です。

実は、不肖私・・・
「ちゃんと正統な物を知っていなければ、崩す事もできないし、知らないで崩すのは邪道だ」
という観点から、一通り着付けを習い、一応、着付け講師の免許も持っているのですが、その知識を得て、歴史も好きな者からすれば、現在の「着付け」による着物の着かたは、戦後の高度成長期くらいから始まった着かたで、いわゆる、普通に日本人が毎日着物で暮らしていた時代の着かたとは違うのでは?と感じてます(←あくまで個人の感想です)

現に「着付け教室」のような物ができたのもその頃からのはずですよね?
だって、それまでのオバサマ方は教えてもらわなくても着れるはずですから・・・

ちなみに、着物=伝統的と思いがちですが、現在主流の六通柄の袋帯や名古屋帯が登場して来るのも、実は戦中戦後くらいからなんですよ。

現在の着かただと、まず腰巻巻いてから肌着に1本、長襦袢に1本、着物に2本・・・ここまでで、最低でも5本の紐的な物を結び、その上に帯をして、さらに帯枕と帯締めと帯揚げと、体に巻く紐状の物は、合計で8本という事になります。

「なんで?こんな苦しいくてしんどい着物の着かたをするんだろう?」

だって昔は・・・
あの十二単でさえ、体に巻く紐は1本なんですよ!
江戸時代には、帯揚げも帯締めも帯枕も無かったんですよ!

おそらく、大昔の人は、もっと気軽に、もっとサラッと着物を着ていたはず・・・(なんせ常に着てますから…)

もちろん、セレモニー的な正式な場所に行くのであれば、それなりのTPOをわきまえてキッチリしなければなりませんが、普段着なら、もっと気軽に、もっと自由に、そしてもっと楽に着物を着て良いんじゃないかな?って、個人的には思ってます。

どうか、着物に携わる方々・・・安価で気軽に着れる着物や帯を、もっとプッシュしてくださいませ。
(今でも、半幅帯だけで着るとメッチャ楽ですから)

だって、ゴルフしかり、釣り道具しかり、ギター等の楽器もしかり、
上手になってくれば、自然と高い物が欲しくなって来るのが人の常・・・

最初は、安いのを何度も着て、やがて慣れて、着るのが楽しくなってくれば、どのみち高級な物が欲しくなりますって。
伝統に培われたホンモノを身につけるのは、それからでも遅くはないのでは?と・・・

関係者様、是非とも御一考くださいませ~

てな事で、今回は「呉服の日」にちなんで・・・歴史の話ではなくてゴメンナサイです。
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2018年1月 5日 (金)

恭賀新春!「おんな城主 直虎」と「アシガール」の感想とか

 

C330

明けましておめでとうございます

本年も、どうぞ宜しくお願いしますm(_ _)m

・‥…━━━☆

早速ですが・・・
新しき年の大河ドラマが始まって、気持ちがソッチに切り替わらないうちに、昨年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」ドハマリした「アシガール」について、あくまで、個人的な感想をチョコチョコと書かせていただきたいと思います。

まずは、「おんな城主 直虎」・・・
と、言っても、昨年の冒頭に1度チョコッと書かせていただいた限りで(昨年1月のページ>>)、ほとんど感想は書いていないのですが、その冒頭に書かせていただいた通り、結局は韓流時代劇っぽい少女漫画のようなドラマでしたね。

あ、でも、これは「悪い」という意味では無いです~私は韓流時代劇も見ますし、少女漫画も大好きです。

ただ、大河ドラマでのソレはちょっと残念かな?
個人的な思い込みの問題ですが、大河では、もう少しダイナミック感?重量感?みたいな物が欲かったように思います。

・・・にしても、これほど合戦シーンの無い戦国モノも珍しいと思いますが、そこは、合戦に出た記録が無い・・・てか、そもそも史料自体がほとんど残っていない女性が主人公なのだから、戦国モノと言えどいたしかたない部分もありますね。

ただ、やっぱり、あの少女漫画のようなラブラブシーンには、もともと恋愛モノ自体が苦手な私には受け入れがたく・・・(←個人の感想です)

最近の回で言えば、本能寺の変の時に、南蛮人の協力を得るために美人局(つつもたせ)的な事やってましたが・・・
惹かれ合う男女が、その思いを素直に表現できず、
不良っぽい男が、「そんなら、お前、援助交際やってみろや!(そんな勇気もないくせに)みたいな雰囲気で言えば、
お嬢様な女は、(できないと思ってるのね)やるわよ!」と意地になって・・・

けど、実際に、その場面になれば、結局、彼女を救おうと、愛しい男が、現場に助けに来る・・・て、
往年の学園ドラマか?・・・「愛と誠」かいな?

いや、私は「愛と誠」は毎週少年マガジン買ってたし、学園ドラマもメッチャ見てましたが、これは、やっぱり青春真っただ中の10代の二人がやるべき展開なのでは?

確かに、演じている柴咲コウさんは36歳で、柳楽優弥さんは27歳なので絵的には大丈夫ですが、物語の設定としては、直虎は、すでに50歳前後ですよね?
もそっと、大人の恋をしても良いお年頃かと・・・

直虎の死を連想させる場面では、直虎以下、井伊直親小野政次龍雲丸らが子供時代の姿に戻って井戸を覗き込むシーンがありましたが、これが、一人の女=直虎に、男3人が恋をしているイケメンパラダイス状態かと思うと、なんだか複雑ですな。

とは言え、最終回はかなり良かったです。
天正壬午の乱からの井伊の赤備えの誕生(10月29日参照>>)もやってくれはりましたしね。
直虎主演で最終回を迎えるなら、ここがベストというポイントでの見事な最終回でした。

ただ、その一つ前の本能寺の変は、やはりサブタイトル通り「本能寺が変」でしたね。

もちろん、これまでドラマ等では描かれて来なかった『信長による家康暗殺計画説』を採用されたのは斬新でした。

私は、以前も書かせていただいていますように、この『信長による家康暗殺計画説』(2016年6月2日参照>>)には否定的ですが、ドラマや小説などの創作物語として描くぶんには、なかなかオモシロイと思います。

ただ、これも・・・
昨年最後の更新のページ=「日本史の新発見&発掘…2017年総まとめ」(12月31日参照>>)でお話させていただいたように、本来ならばトップシークレットで秘密裏に進めないといけない謀反の話を、ドラマでは、いろんな人がいろんなところにしゃべりまくり・・・よく、この状態で、信長側に謀反がバレなかったな~と
(まぁ、ドラマの中では、「家康暗殺計画」自体が信長の命なのか?光秀の虚言なのか?がハッキリしてませんでしたが…)

しかも、ターゲットがもし信長なら約100名、もし家康なら約4~50名ほどを相手に戦うはずなのに(信忠の馬回りを入れても数百です)、結局、明智光秀は自軍の1万3000もの大軍を率いて謀反を起こす・・・この状況に、人質まで差し出して今川氏真や直虎や徳川家康に、何を協力してほしかったのか???

さらに、
案の定、織田信忠(信長の嫡男)の件は、「二条御所で合戦になっております」の一言でスルーされてしまったし・・・
秀吉は出てこないし・・・
そんで、かの南蛮人相手の美人局(←未遂)だし・・・
残念ながら、アホな私には理解できない展開でした~ゴメンナサイ。

ほんで以って、戦国を終わらせ平和を願うという直虎が、「それができるのは家康様」って・・・
そりゃ、井伊家は徳川によって盛りたてられたので、ドラマ的には仕方ないとは思いますが、いち秀吉ファンといたしましては、
「家康の前に秀吉が天下統一して、一旦、平和な日本を造ってますやん」
「それを家康が一度壊してから、新政権樹立するんですやん」

と、あまりの秀吉シカトぶりが悲しい・・・

とは言え、上記の感想は、あくまで重箱の隅・・・全体的に見れば、なかなかオモシロく、特に後半は盛り上がった感ありました。

そんな中、今回の大河ドラマと並行するように、この10月~12月にかけて、個人的に楽しんでいたのが、同じくNHKの土曜時代ドラマ「アシガール」です。

いや、楽しんだでは済まされ無いほど・・・不肖ワタクシ、ウン10年生きて来た中で1位・2位を争うほどに面白いドラマでしたホント。

原作は少女漫画で、土曜日の18時代の放送・・・つまり、主たるターゲットは10代の女子だと思われる時代劇で、出て来る人は全員架空の人物。

陸上部員で、走る事が得意なだけの普通の女子高生が、発明が得意な弟が作ったタイムマシンで戦国時代に行って、そこで出会った若君に一目惚れをする中、その若君の一族が、まもなくの永禄二年(1559年)に滅亡する事を知って、何とか若君を助けようと足軽になって奔走するという(足の速い女子高生が足軽=なのでアシガールです)
まさに荒唐無稽な内容で、実際にはあり得ないようなご都合主義な展開が繰り広げられます。

なんせ、よくあるタイムスリップと違って、コチラはタイムマシンなので、平成と戦国を行き来でき、負けるはずの戦いに勝つためのアイテムを平成で調達して戦国に飛ぶとか、ひん死の重傷を負った若君を平成に送って治療しちゃうとか・・・もう、やりたい放題です。

そんなこんなで、フツーの平成の女子高生が、危険いっぱいの戦国時代を見事に生き抜くどころか、氏素性もわからないまま若君に近づいて、最終的には、その若君とラブラブになっちゃうわけですから・・・

少女漫画原作ならではの主人公と若君の胸キュン場面もワンサカで、それこそ直虎のラブラブシーンどころの騒ぎじゃありません。

ところが、この「アシガール」は、なぜか嫌悪感を抱かせない・・・この違いは何だろう???
(上記の通り、本来は恋愛モノはあまり好きじゃないんですが…)

てな事で、自分なりに色々分析してみましたが・・・
1番は、何といっても、大河で鍛えたNHK様の戦国時代の再現度の素晴らしさ!です。

その放送時間帯をみても・・・
大河で使用された衣装がリサイクルされる事山の如しなところからみても、
おそらくは大河よりはるかに少ない予算で撮影されているであろうにも関わらず、これまで培った、さすがのNHK様の時代劇作りのスキルを生かしての戦国再現がお見事!

ストーリーはおおむね原作に沿いながらも、少女向けの作品を、見事に老若男女が楽しめるドラマになるよう、うまく変更された脚本や演出もさることながら、

原作では、天守閣が描かれていた若君の居城が、ドラマでは、まさに永禄二年っぽい、居館の周囲に柵や土塁を張り巡らせたような造りになっていたり(天守閣らしき物は永禄七年(1564年)の多聞山城参照>>、ハッキリと天主と明記されたのは天正四年(1576年)の安土城が初かと…参照>>

同じく原作では、その名の通りの女性だった主人公を助ける猿楽一座のあやめ姉さんが、ドラマでは女形の男性役者になっていたり・・・(出雲阿国の登場は、もうチョイ先…慶長の頃かな?=参照>>

セットに関しても、
若君のお城は、ほとんどが板の間で、殿様の座る部分にだけ畳があるのに対して、敵方の武将の城には畳敷きの広間があって、この永禄二年(1559年)の段階で(数は多く無いものの)鉄砲隊もいる(鉄砲伝来は天文十二年頃(1543年=参照>>)で、例の長篠の合戦は天正三年(1575年=参照>>)・・・つまり、ナレーションも説明も無しに両者の力関係がわかる造りになってたり・・・

と、ストーリーは荒唐無稽ながら、戦国時代の再現度は、歴史好きを満足させるに充分なレベルなわけで・・・。

ちなみに、原作にも登場する主人公の家来になる黒人さんについてはギリセーフ?(日本に来た黒人さんの初記録は天文十五年(1546年)=参照>>
また、最終回で兄上様が「西の丸に美しい桜がある」と、「曲輪(くるわ=郭)の事を「丸」と言ったのは、ご愛敬という事で・・・(←ちょいと早い気もするけど、もともと曲輪が丸に変化した理由や時期がハッキリしないし曲輪だとお城とかに興味の無い人には解り難いでしょう)

さらに、予算の都合上、やや小ぶりではあるものの、最近の大河では、とんとお目にかかれなくなった合戦シーンもちゃんと描かれ、そこここに登場する太刀合いもなかなかの迫力!!
そして、何といっても、キャストの皆様の立ち居振る舞いが美しい~

あの戦国武将が床に座る時の胡坐(こざ・あぐら)・・・その胡坐の姿勢から、上半身をほとんど動かさず、膝もつかず、手も使わず、スッと立つ、あの感じ。

また、ピンとした姿勢で音も無くスススッと廊下を歩いたり、
部屋に入って来て、クルリと回って上座を向いて、そのまま胡坐する、一連の流れるような動作とか・・・若君もジイも、ちゃんと右側から乗馬するしねww

合戦も太刀合いも所作も、まるで往年の大河ドラマを見ているよう・・・だからこそ、戦国時代の人々が、まるで、そこに生きているかのようにリアルに感じられて感情移入ができ、視聴者が嫌悪感を抱かないのだと思います。

もともと、主役からチョイ役に至るまで、「神か」と思うほど役にピッタリな俳優さんたちが生き生きと動く・・・
(もちろん、現代のシーンの俳優さんたちもピッタリ役にハマッてますが…)

そんな、往年の大河のような立ち居振る舞いは、何度も時代劇を経験されているベテラン勢は、すでに身につけておられるのかも知れませんが、主人公の相手役の若君を演じた健太郎さんは、今回が時代劇初出演だとか・・・おそらく、かなりの練習をされたのだと思います。

主人公の黒島結菜さんとともに、主役を張った若いお二人は、その演技力も含め、これからの活躍に目が離せません。
(なんせ、この3ヶ月の撮影の間にも、どんどん成長してはったので…
若いってイイなぁ(*^-^))

残念ながら、最近の大河での若手の方は、乗馬や太刀合いの場面もほとんどなく・・・たまに入る胡坐から立ち上がるシーンでも、途中から上半身や顔へのズームアップになっていて、全身や足元が、あまり映らず、何となく、カメラワークで誤魔化されてる?感が拭えない・・・
まぁ、それもスタッフ様のテクニックの一つでしょうし、そもそも最近は時代劇自体が少なく、若い俳優さんが経験を積む場も、ほぼ無いのが現状なので仕方ない事なのかも知れませんし。。。

とにもかくにも、
昨年秋の「アシガール」を見ていて、つくづく感じたのは、物語の中でつじつまが合っていて、時代考証がしっかりしていて、俳優さんの立ち居振る舞いが美しければ、例えストーリーがファンタジー満載でも、見ている側は嫌悪感を抱かないのだという事・・・

どうぞ、NHK様、これからも、このような時代劇を作って行ってくださいませ。
(原作が、まだ継続中のようですので、良かったら続編をm(_ _)m)
まぁ、タイムマシンありきのドラマが時代劇か?と言われると困るんですけどね(*´v゚*)ゞ

以上、
年が明けた今も、どっぷりハマったまま、「アシ抜け」できない茶々のつぶやきでした~

さぁ!今年の大河に期待するゾ~~~o(*^▽^*)o

・‥…━━━☆

2018年2月18日追記:
「アシガール」の続編SPの制作
が決定しました!

再放送の最後に告知があり、続編SPが制作されるようです。
詳細はおいおい告知されるみたいですが・・・
上記の通り、原作はまだ続いてますからね。

原作者の方は、コミックのあとがきに
「この結末を思いついたからこそ、この物語を書き始めた」
とおっしゃっているので、ラストの落とし所が難しいタイムスリップ物の秀逸なラストシーンを期待しております。

もちろん、ドラマはドラマなので、原作とは違う感じに持っていかれるやも知れませんが、
それはそれで期待大ヽ(´▽`)/

いずれにしても、ホント楽しみです。
ワクワクしながら、待ってます平成で…

追記の追記:
「アシガール」の続編SP2018年12月24日のクリスマスイブに放送予定!
だそうです。
楽しみです(*^ω^*)ノ彡
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2016年5月17日 (火)

祝!アクセスが2000万HITを越えました~感謝です

 

いやはや・・・
GWの最後に38.5度の熱を出し、その熱は2~3日で収まったものの、ひどい咳が1週間以上続いていたところ、何と昨日の真夜中に39.5度まで上昇し、眠れないどころか、熱に浮かされ、聞いた事も無い、どんな歌詞かもわからない鼻歌歌い始めたかと思うと、
「私にはやらなあかん使命があんねん!」
「絶対やらなあかん使命やねん!」

とドラクエの勇者の如きセリフを、大声でのたまうという現象に!!

もちろん、大声でのたまいながらも、頭のどこかには、
「なんやねんww使命て…熱に浮かされて何言うとんねん!アホか」
という冷静なツッコミをする自分もいてます。

朝5時頃に、やっと熱が38.2まで下がったので、目覚ましを9時前にセットして、何とか眠りについた後、お医者さんへ・・・お薬には解熱剤もあったので、その後、10時~夕方まで、グッスリ寝かせてもらったおかげで、何とか、熱に浮かされる事はなくなりましたが、今現在も38.0度ありますww(笑てる場合か!)

それにしても、オモロかったです・・・普段、自分が考えてもいない事を口走るなんて!!(゚ロ゚屮)屮

隣室で寝ていた家族からは
「昨日の夜中は忙しかったみたいやな」
と言われたので、やはり叫んでたのは夢では無かったようです。

とは言え、先週の大河「真田丸」草刈パパやないですが、
「悲しい事があると思たら、その後で嬉しい事もある…世の中、よ~できとる」
ですね。

高熱を出したと同じ日に、訪問者様の数が、なんと累計2000万アクセスを越えました~o(*^▽^*)o

ブログを開設してから1000万アクセスを達成するまでは7年かかりましたが、1000万から2000万までは、わずか3年で達成!(このブログのあゆみ参照>>)

これもあれも、更新が途絶えても茶々を見捨てず、いつも訪問してくださる皆さま方のおかげ・・・ありがたい限りです。

せっかくの記念日ですから、ここは2000万の報告だけというわけには行かず、「何かしらの近況j報告をしようか」「最近の真田丸の感想を書こうか」とも思いましたが、上記の通り、未だ快復しておりませんので、
「今は養生して風邪を治す事が、現在の私めに与えられた使命ww
(↑これは浮かされてません(゚ー゚))
かと存じ、本日の所は、これにて失礼させていただきたいと思います。

Oosakazyousaikencc
まさしく自画自賛ですが、まるで十勇士を従えた真田幸村(信繁)のように見えるこの大阪城の雄姿が大好きなので、再度、貼らせていただきます。

風邪が治り次第更新しますので、今後ともよろしくお願いいたしますm(_ _)m
 .

あなたの応援で元気100倍!


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