京都&大阪の出版業界をけん引した北条団水
宝永八年(1711年)1月8日、江戸時代前期から中期にかけて活躍した俳人であり、浮世草子作家としても知られる北条団水が死去しました。
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昨年の大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」での盛り上がりも記憶に新しい江戸時代の出版事情・・・
ドラマを見てもお解かりの通り、あの時代の日本人の識字率はスゴイです。
おそらくこの頃の世界では字が読めるのは王族や貴族=日本で言うところの天皇家や公家や武士階級のみと言ったところでしょうが、日本では、すでに都会の町人はもちろん、地方の農民の中にだって字を読める人は相当いたと思われます。
なんせ、一部の知識層だけが文字が読める状態なら、街角で瓦版が売られたり、ひとつの都市に本屋が何百軒もできたり、出版本がベストセラーになったりしませんものね~
鎌倉時代の第3代執権の北条泰時(ほうじょうやすとき)が、あの御成敗式目(ごせいばいしきもく)制定(8月10日参照>>)の時に、武士階級でもほとんど文字が読めない事を気にしている事を踏まえると、そこから見事な成長ですよね~
その鎌倉時代に創立したものの、その後に衰退していた足利学校が戦国時代に見直されるようになったとされますが、各地のお寺でいわゆる「寺子屋」のような物ができて来るのも、この戦国時代頃からと言われていて、それが、その見事な成長を遂げる要因という事かも知れませんね。
一方、印刷物については…
そもそも、現存する世界最古の印刷物は日本の百万塔陀羅尼(ひゃくまんとうだらに)で(2010年6月20日参照>>)、
その後、大友宗麟(おおともそうりん)らが派遣した天正少年使節(2007年6月20日参照>>)の帰国とともにやって来た宣教師が西洋の活版印刷を伝え、
キリスト教の布教とともに天草や長崎に普及して行きましたが、キリシタン禁止令とともに衰退・・・
また、それとは別ルートであの豊臣秀吉(とよとみひでよし)の朝鮮出兵で以って日本にやって来た朝鮮の職人たちによって中国式の活版印刷も伝わって来ますが、結局、それもいつしかいつしか下火になり、
江戸時代の印刷の主流は、かの奈良時代の百万塔陀羅尼の頃と同じ、従来からの木版による製版印刷に落ち着いたのです。
それは庶民にまで普及した識字率の多さによって、その需要が増大となる上に、わずか26文字のアルファベットだけで無く、ひらがな&カタカナ、そして膨大な数の漢字を駆使する日本語では、1度に少量しか印刷できない活版印刷では追っつかない状態だったという事のようです。
ただ、日本における最初の出版本は江戸では無く京都から・・・
京都では、すでに元禄七年(1694年)にいわゆる「本屋仲間」の記録があり、同じく元禄十一年(1698年)には大阪に24軒を6組に分けた「本屋仲間」が様々な問題を話し合って仕切っていた事が記録されています。
つまり、出版物=本に関しては「まずは上方から…」なわけですが、そんな、
「上方で流行している出版本を江戸でも…」
と江戸に持って来たのが、昨年の「べらぼう…」にも登場していた須原屋市兵衛(すはらやいちべえ)という人。。。
昨年の大河「べらぼう」で、この市兵衛さんの役を演じておられたのが里見浩太朗さんという事でもお察しの通り、ドラマの主人公である蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)よりは一世代前のような立ち位置の人です。
…で、
そんな、ちびっとだけ江戸より早かった上方の出版業界をけん引していたのが、有名な井原西鶴(いはらさいかく)(6月5日参照>>)であり、その西鶴の門下であった本日の主役=北条団水(ほうじょうだんすい)だったわけです。
(前置きが長くなって申し訳ないですm(_ _)m)
おそらくは寛文の始め頃(1663年頃)に京都に生まれたとされる北条団水・・・その出自は不明なれど、はじめは仏門に入っていたのが、
延宝の末頃(1681年頃)に井原西鶴の門下生となったのをキッカケに北条団水と号するようになって文筆活動に励み、多彩な作品を残す事になります。
それは主に浮世草子(うきよぞうし)と呼ばれる当世ハヤリの文芸形式で、当時の風俗や人情を描いた娯楽性の強い読本でした。
元禄時代に入ってからは俳諧(はいかい)活動を中心に据え、当時の人々の生活や風俗を生き生きと反映した『秋津島(あきつしま)』や『特牛(こというし)』などの俳諧集を刊行するようになって、俳諧的視野の広さは師匠の西鶴を凌ぐとも言われますが、
北条団水の特筆すべき活躍は、何と言っても、師匠の西鶴の死後に、その墓を建立して西鶴庵の2代目を受け継ぎ、遺志を伝えるべく師匠の未発表の作品を整理&編集する役割を担った事かも知れません。
色道に身を持ち崩し社会の底辺に落ち込んだ若者や零落していく富豪などを描きつつ、落ちぶれてもなお意地を張る人間の切ないまでの心情を美しく表現した西鶴独自の世界を団水が描いたもので、師匠への深い敬意と愛情を感じさせる作品となっています。
とは言え、こうした師匠の遺稿整理をしつつも、自身の創作活動も精力的に続ける団水は、『昼夜用心記』や『野傾友三味線』といった人々の生活や世相をリアルに描写した浮世草子作品も多数著し、これらは当時の社会を知る上で貴重な資料となっています。
こうして、豊かな感性と鋭い観察眼で以って世相を描いていた団水でしたが、
残念ながら宝永八年(1711年)1月8日に、49歳でこの世を去る事になります。
しかし、今現在も読み継がれる彼の作品は、近世文学研究においてとても重要で、江戸時代の文化の一端を伝える貴重な作品である事は確かです。
おかげで、今も江戸時代の文化のリアルに触れることできるわけですね。
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