いよいよ、今日から2月・・・
春が待ち遠しい季節ですが、一方で、2月1日は、2度目のお正月との見方もある日です。
二月礼者(にがつれいじゃ)と言って、お正月に年始回りをできなかった人が、この2月1日に回礼に回るという風習のある日なのです。
・・・で、本日は、お正月の間に書こうかな?と思っていたのに書けなかったお話をご紹介させていただきます。
それは、京都の丹後地方に伝わる「貧乏神」の昔話です。
・・・・・・・・・
昔、あるところに、大きな酒屋さんを経営するお金持ちの長者さんがおりました。
・・・と言っても、このお話の主役は、その長者さんのお隣に住んでいるメチャメチャ貧乏の一家・・・
とにかく貧乏で、いつもお金が無く、ただただその日一日をなんとか暮らしている夫婦とその子供3人の5人家族のお家・・・
もうすぐ正月だというのに、やはり今年も貧乏真っただ中・・・年の暮れにお金も無く、しかたなく、皆で物乞いに出かける事にします。
「おぉ、皆、お椀と袋持ったか?」
「今日は、皆で、物乞いするさかい。行くで~」
とお父さんとお母さん・・・
と、仕度をして庭へ出ると、どこからともなく、見た事も無い小さな男の子が、チョコチョコっと現われて
「僕も連れてってぇな」
と・・・
「君、どこの子や?」
「ウチは5人でさえ食べていかれへんのに、このうえ君を養う事なんかでけへんで」
と夫婦が言うと、
「僕は、この家の貧乏神やねん。縁の下にいっつもおるねんで」
と・・・
「な~るほど…君がおるさかい、ウチは、いつまでたっても貧乏で貧乏で、食べる事にも困るような生活やねんな。。。納得~」
「って、アンタ
納得してる場合やないがな~(゜゜ )☆\(^^ ;)☆」
と、ふたりで夫婦漫才・・・
そんな夫婦の様子を見ていた男の子・・・
「ちょっとだけ、待っててな」
と、縁の下に入って行って、何やらちょっとゴソゴソ・・・
「タネ・シカケ、ちょぼっとあるよ」(←byゼンジー北京)
と、再び出て来たかと思うと、片手にひとつかみのお米を持って
「このお米を四升鍋で炊いて、ご飯にしてくれへんやろか?」
と言います。
「これを…って、
こんなちょびっとのお米、四升鍋で炊いたかて、おかいさん(粥)にもなれへん…
米まばらスープみたいなんができるだけやないかい」
「いやいや、オッチャン、そう言わんと、いっぺん炊いてみてぇや」
「おかしな子ぉやなぁ」
と思いながらも、とりあえず、その子の言う通りに、大きな鍋でちょびっとのお米を炊いてみると・・・
ありゃ不思議・・・ピッカピッカのお米が、四升炊きのお鍋いっぱいに・・・
「ありゃま、不思議やこと…あんなちょびっとのお米で、こんなよーけのご飯になったわ」
と、家族皆、大喜びでワッシワッシとご飯を食べまくり・・・
「あ~~満腹なったわ~」
と、とえりあえず、一家5人、一息つきますが・・・
「さぁ、お腹もいっぱいになった事やし、ほな出かけよか」
とお父さん・・・
そう、確かに、今、お腹いっぱい食べましたが、そもそも、明日のお米を買うお金も無い家計火の車状態は変わらないわけで・・・
「ここで、こうしてたって、明日の正月のためのお餅を用意できるワケやなし」
と、再び家を出ようと庭に行くと、
またまた
「オッチャン、もうチョイ…明日まで待ってぇや」
と、男の子が止めます。
実は、ちょうどその頃、正月を迎える準備真っただ中の隣の長者さんの家では、お餅つきが始まっていたのです。
できあがったお餅は、それぞれに形を整えて、明日まで一晩置いておかれますが、その日の真夜中に、コッソリと長者さんの家に忍び込んだ男の子は、そのお餅に、食紅をペッタンペッタンまぎれ込ませていきました。
翌朝、そのお餅を目にした長者は
「あれぇ?えらいこっちゃ!お餅の中に血ぃがまじってしもとるがな!
こんなお餅は食べられへんなぁ…しゃぁない、ほかそか(捨てる)」
と、そこへチョコチョコっと現われた男の子・・・
「オッチャン、これ、ほかすんか?
ほかすんやったら、全部、僕にちょーだいや」
そう言って、そのお餅を持って帰って、貧乏家の皆に分けました。
貧乏一家は、またまた満腹に・・・
そうこうしているうちに、やがて、だんだんと長者さんの家は貧乏になっていき、逆に、貧乏一家には、どんどんお金がたまっていき、いつしか、その隆盛が反対になってしまったのだとか・・・
こんな貧乏神もいてるんやね~
・‥…━━━☆
と、お話は、ここで終わりますが・・・
う~~ん・・・これは、貧乏神やなくて福の神ですね~。
実は、これ以外にも、各地に残る貧乏神のお話には、今回のように、毛嫌いせずにやさしく対応したり、丁寧に祀る事で、貧乏神が「家の神」に転化して福をもたらすというパターンが多く残ります。
まぁ、一般的には、貧乏神は、豆粒ほどの小男だったり、貧相な老人の姿だったりする事が多く、今回のような子供の姿というのは少ないように思いますが、現われる時期が年の暮れというパターンは多いです。
なので、、おそらく、この貧乏神は、お正月とともにやって来る年神(としがみ)(12月20日参照>>) の性格も持っていたのでしょうね。
いずれにしても、各地に残る貧乏神のお話は、どれも憎めないほのぼのした雰囲気で、貧乏神という存在が、昔の人にとっても、「ちょっと厄介だけど愛すべき神様」であった事がうかがえますね。
きっと、今回の男の子貧乏神も、毎日、縁の下から貧乏一家の生活を見ているうちに、この一家の事が大好きになったのでしょう。
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