いよいよ師走~年賀状の由来と年賀状・寅のイラスト
今日から、いよいよ12月・・・師走(しわす)ですね。
この師走というのは、12月は一年の終わりで、皆、忙しく、いつもはドッシリと構えているエライ師匠も趨走(すうそう・ちょこちょこ走る)ので「師趨(しわす)」・・・というのが一般的ですが、古い事ゆえ、他にも説があります。
「師」が法師の「師」で、12月は各家々で、僧を迎えてお経を読んでもらう習慣があるため、僧が忙しくなり、師がはせ走る=「師馳月(しはせづき)」と呼ばれていたのが、いつしか略されて師走となったというもの・・・
また、「歳極(としはす)」が略されて訛ったもの・・・
「万事、為果(しは)つ月」から来たもの・・・
などと、イロイロあります。
別名もたくさんありますよ!
親子月、春待月、極月、梅初月、年よ積月、暮古月、三冬月、厳月、弟(おとと)月、除月、窮月、小歳、暮節、嘉平、清祀、未垂、窮年、四極、三余、大呂、残冬、晩冬・・・などなど
途中に明らかに人物名のようなのもありながら、最後のほうは月の異名とは思えないような物も・・・一番最後の晩冬なんて、季節の言い回しかと思っていたら、12月の事なんですね~
まぁ、現在は新暦なんで、ちょっとズレがあるため、今となっては、季節の表現として使うんでしょうが・・・
そう言えば、そろそろ年賀状を書かなくては・・・
てな事で、本日は、年賀状の由来などご紹介しながら、歴史とともに私のもう一つの趣味であるイラストを書かせていただきましたので、もし、よろしければ、お持ち帰りくださいませ。
(たぶん金にはならないイラストだとは思いますが、一応、商用はお控えください)
・‥…━━━☆
年賀状を書く習慣が、一般的になったのは、やはり、近代の郵便制度が整った明治以降の事になりますが、実は、すでに江戸時代に、武士や商人の間で、飛脚を使った年始のあいさつが交わされていたのだそうです。
ただし、ご存知のように、当時の飛脚便はかなりの高額ですから、ホント一部のお金持ちの間だけだったのしょうね。
そんな年始のあいさつは、明治六年(1873年)に郵便はがきが発売された事によって、安価で手軽な存在となり、一般庶民の間に広がっていくのですが、最初のうちは、元旦に配達されるというシステムはなく、遅れ&フライングの嵐・・・
それが、現在のように、年賀状だけを一斉に元旦に配達するようになるのは明治三十九年(1906年)からだそうです。
そして、その年賀状での年始あいさつが爆発的にヒットするのは昭和二十四年(1949年)・・・そう、お年玉つき年賀はがきが発売されたのです。
ホント、うまい事考えたもんです。
初の賞品は、
特等=ミシン
1等=純毛服地
3等=学童用こうもり傘
4等=はがき入れ
5等=切手シート・・・
そんな豪華賞品に目がくらんだのか、当時は、下の番号の書いてあるクジ部分を切り取って送った人もいたのだとか・・・なんて、失礼な!
そんなんなら、まだ、送らないほうがマシですよね~
ちなみに、小耳に挟んだ情報によると、このお年玉つき年賀はがきは、アメリカに送っちゃいけないんだって・・・
アメリカには、「外国の宝くじを買ってはいけない」という法律があって、このお年玉つき年賀はがきは、宝くじとみなされるんだとか・・・
そう言えば、以前、「○○(外国)の宝くじを買いませんか?」というダイレクトメールが届いていて、その国のジミー何たらという人物が「もうすぐ、あなたの家にうかがいます」って書いてあったけど、あれから数年・・・ジミーは徒歩でウチへ向かっているんだろうか(笑)
もちろん、日本で海外の宝くじを購入するのは違法です・・・騙されんゾ!
・‥…━━━☆
ポチ袋:
画像をクリックして、イラストギャラリーにある大きなイラストをコピーしてお持ち帰りいただいて、そのまま印刷して糊付けすればOK!
寅の福笑い: こちらも画像をクリックして、イラストギャラリーにある大きなイラストをコピーしてお持ち帰りいただいて、目・鼻・口を切り取って遊んでね。
年賀状を福笑いにしてもオモシロイかも・・・
来年のえと=寅の意味は【「えと」十二支の由来】で見てね>>
★これまでブログにupした画像で、年賀状に使えるイラストを集めた【年賀状に使えるイラスト集】もよろしく>>
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