初代天皇~神武天皇が崩御
神武天皇七十六年(紀元前585年)3月11日、日本を建国した初代天皇である神武天皇(じんむてんのう)が137歳(『古事記』より)で崩御されました。
(『日本書紀』では127歳)
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生前のお名前は、複数ありますが1番よく聞くのが…
『古事記』表記が神倭伊波礼毘古命、
『日本書紀』の表記が神日本磐余彦尊、
で、どちらもカムヤマトイワレヒコノミコトと読む、このお名前ですね。
う~ん、それにしても137歳か127歳かぁ~
医学の発達した現代でもギネス級の長寿やな~
と、まぁ、お察しの通り、ここらあたりは神話の世界の延長で、、その逸話は俄かには信じられない内容が多々あるわけですが、
だからと言って、すべてを無視して良いか?
と言えば、そうではない。。。
実際、全国各地に古墳が点在し、未だ発掘されていない遺跡は山ほどあるわけで、それこそ、神話の世界の架空の話と思っていた事が新たな遺跡の発掘によって、実際にあったと証明される事もあるわけで、
なかなか侮れないのが記紀神話の世界・・・
そもそも、発掘された遺跡で以って昔々を探究するのが「考古学」なら、文献で以って探索していくのが「歴史」という分野なわけで、そうなれば日本最古の歴史書である記紀は外せないのが現状です。
…てな感じで、本日は参ります。。。
そもそもは、あのアマテラスオオミカミ(天照大神)の孫で、高天原から九州の高千穂(たかちほ)に降りて来た=天孫降臨で知られる
ニニギノミコト(邇邇芸命=瓊瓊杵尊)(7月9日参照>>)
からの
ホヲリノミコト(火遠理命=火火出見尊・山幸彦)(2月8日参照>>)
からの
ウガヤフキアエズノミコト(鵜葺草葺不合命=鸕鶿草葺不合尊)の息子です。
つまりアマテラスから六代目の子孫にあたります。
そんなカムヤマトイワレヒコノミコトが、
「国を治めるのに、もっと良い地はないか?」
と、曾祖父の代から住んでいた高千穂を出て、東へ東へと旅をし(←これを神武東征(じんむとうせい)と言います)、
…で、
なんやかんやの末に、奈良の畝傍山(うねびやま)近くに白檮原宮(かしはらのみや=奈良県橿原市久米町の橿原神宮が伝承地)を建て、イスケヨリヒメ(伊須気余理比売=五十鈴媛)を皇后に娶って初代天皇として即位するのです。
これが皇紀元年1月1日の事・・・換算すると紀元前660年2月11日なる事で、現在も毎年2月11日が「建国記念の日」という祝日となっているわけです。
上記の即位するまでの「東へ東へのなんやかんや」は、以前書いた2月11日の「建国記念の日のページ」>>でご覧いただくとして・・・
本日は、その余談を。。。
実は…
神武天皇はイスケヨリヒメを娶る以前=未だ高千穂に住んでた時に、アヒラ(ツ)ヒメ(阿比良比売・吾平津姫)なる女性と結婚し、すでにタギシミミノミコト(多芸志美美命=手研耳命)とキスミミノミコト(岐須美美命=書紀には登場せず)という2人の男の子をもうけていたのです。
しかし、売れ始めて東京進出し、全国ネットになったお笑い芸人さんやミュージシャンがそう思うように、奈良にて天下を取った神武天皇も
「俺には、もっとランク上の嫁がシックリくるはずや」
(女優とか、メッチャ年下とか…ネ)
と考えるようになる。。。
ちょうど、そんな時に側近のオホクメノミコト(大久米命)に紹介してもらったのが(マッチングアプリかい?)皇后となるイスケヨリヒメなのですが、
後日、そのイスケヨリヒメに初めて会うために、指定された場所へ行って遠くから眺めるていると、いずれもメッチャ美人な7人の女の子がお花摘みに夢中。
そこでオホクメノミコトが
♪大和の 高佐自士野(たかさじの)を
七行く嬢子(おとめ)ども誰をし枕(ま)かむ ♪
「あそこに7人おるけど、誰と枕を共にしはるおつもりなんでっか?」
と神武天皇に聞く。。。(枕て…子供も見てんねんゾ)
7人のうち、1番先頭のイケイケなべっぴんがイスケヨリヒメと予想した神武天皇が
♪かつがつも 最前(いやさき)立てる 兄(え)をし枕かむ ♪
「ハッキリ言い難いけど…ま、あの先頭を行く娘と枕かんでみたい~」
(↑ハッキリ言い難いと言いながらハッキリ言うとるがな)
…で、神武天皇の気持ちを察したオホクメノミコトが、早速、イスケヨリヒメの前に進み出ます。
オホクメノミコトは武勇を誇る久米部(くめべ)出身の人で、その精悍(せいかん)さを強調するために目じりにタトゥーを入れていたのですが、
それを見たイスケヨリヒメは、
♪胡鷰子都鴒(あめつつ)千鳥
真鵐(ましと)何ど聞ける利目(とめ) ♪
「あなたはどうして鳥のような大きな目をしているの?」
と赤ずきんちゃんのような質問を…
するとオホクメノミコトは
♪嬢子に 直(ただ)に逢はむ 我が開(さ)ける利目 ♪
「お前の顔をよ~く見るためだよー」
とこれまたオオカミのような答え。。。
すかさずイスケヨリヒメは、
「承知しました~OKよ!」
と、神武天皇との結婚を快諾・・・
…って、えぇんかい!
ほんで、すぐさま
♪葦原(あしはら)の 密(しけ)しき小屋に
菅畳(すがたたみ) いやさや敷きて 我が二人寝し ♪
「芦だらけの川べりの貧しい小屋に須賀で編んだ畳敷いて二人で寝たんやで~」
…って、えぇんかい!
こうして神武天皇とイスケヨリヒメの間には、
ヒコヤイノミコト(日子八井命=書紀には登場せず)、
カンヤイミミノミコト(神八井耳命=神八井命)、
カムヌナカワミミノミコト(神沼河耳命=神渟名川耳尊)という3人の男の子をもうけ、
神武天皇七十六年(紀元前585年)3月11日、即位した橿原宮で神武天皇は崩御され、畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ=奈良県橿原市・四条ミサンザイ遺跡)に葬られました。
しかし悲しいかな、息子たちの間で、このあとトンデモない後継者争いが起ります。
とまぁ、そのお話は、第2代の天皇=綏靖天皇(すいぜいてんのう)が即位する1月8日のページ>>でどうぞm(_ _)m
(神武天皇とイスケヨリヒメの話がチョイかぶり気味)
さらなる続きの天皇様については、
記紀にはしょられた『欠史八代(けっしはちだい)』のページ>>をご覧あれ!
とまぁ、なんか糟糠の妻を捨てて、えぇトコのお嬢さんに乗り換えた薄情ダンナの馴れ初めノホホン話みたいな話になってましたが、このイスケヨリヒメは『古事記』では
ヒメタタライスケヨリヒメ(比売多多良伊須気余理比売)
の名で登場する。。。
ご存知のようにタタラは「たたら製鉄」のタタラかも知れないわけで、そうなると、単なる個人の結婚ではなく、天皇家と製鉄技術の結びつきを神話風にアレンジした物語という事になるわけで…
近年の研究では、青銅器が先で鉄器が後から~という世界線と違って、日本には青銅器と鉄器の製法がほぼ同時期に入って来たとされ、
そのために日本では強くなければならない武器は鉄で造り、青銅は装飾品に用いるように使い分けがされるようになったとの見方が強いですが、
創作満載の神話でありながら、そのような古代の姿も垣間見えて、非常に興味深いですね。
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