日本史の新発見&発掘…歴史のニュース2025年総まとめ
色々あった2025年もいよいよ終わりに近づきましたが、今年も様々な新発見や発掘がありましたね。
今回は一年の締めくくりとして、今年に報じられた様々な日本史の発見や発掘のニュースを総まとめにして振り返ってみたいと思います。
ただ、いつものように・・・
単なる歴史好きである茶々の知り得るところのニュースでありますので、あくまで一般に公表&公開された公共性のある物である事、
また、私が関西在住という事もあっての地域性・・・さらにそこに個人的な好みも加わっておりますし、
そもそも上がったニュースを全部知ってるわけではありませんので、少々、内容に片寄りがあるかも知れませんが、
そこのところは、「今日は何の日?徒然日記」独自の注目歴史ニュースという事で、
ご理解くださいませo(_ _)oペコ
| 1月 | ● | 徳島県の若杉山辰砂採掘遺跡(阿南市)で弥生時代後期(1~3世紀)に火を利用して採掘したとみられる国内最古の痕跡が見つかりました。 当時の世界基準の採掘技術が日本でも導入されていた可能性があるようです。 |
| ● | 奈良市の日本最大の円墳、富雄丸山古墳(4世紀後半)で出土した木棺のふたと本体に「縄掛け突起」と呼ばれる突起があったものの、埋葬時に縄は掛けられなかったことが分かりました。 奈良市埋蔵文化財調査センターによれば、今後その用途を巡って議論を呼びそうだ…との事。 |
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| 2月 | ● | 小笠原好彦氏(滋賀大名誉教授) が、奈良市の富雄丸山古墳(4世紀後半)の被葬者は、仲哀天皇の皇子で応神天皇の異母兄、麛坂王(かごさかおう)とその妻ではないか?との見解を打ち出しました。 |
| ● | 鎌倉時代初期の高僧で天台座主の慈円が自筆した本「夢想記」が、住職を務めた青蓮院(京都市東山区)で見つかりました。 長らく所在不明だった「幻の原本」だそうです。 |
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| 3月 | ● | 奈良市の平城宮跡のすぐそばで、これまで知られていなかった全長約200mに及ぶ大型の前方後円墳の痕跡が見つかり、「佐紀池ノ尻(さきいけのじり)古墳」と命名されました。 都の建設時に破壊されたとみられ、これほどの規模の古墳が取り壊された例の発見は極めて珍しいとの事。 |
| ● | 埼玉県本庄市児玉町の「雉岡(きじおか)城跡」で意図的に崩されたような多数の石積みが出土しました。 城は戦国時代後半に豊臣秀吉軍の攻撃で落城し、その後、徳川家康による統治時に廃城に伴って破却されたとの記録が残りますが、「落城か?廃城のどちらか?に石積みが崩されたのか」は今後の研究に期待。 |
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| ● | 奈良県明日香村の甘樫丘遺跡群で、7世紀前半以降のものとみられる複数の建物跡や井戸跡などが見つかりました。 これまでは文献記録のみだったのが、今回の調査で飛鳥時代に活発な土地開発が行われた実態についても考古学的に確認できたとしています。 明日香・甘樫丘から見た大和三山 |
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| 4月 | ● | 戦国武将の明智光秀が琵琶湖岸に築いた大津市の坂本城跡で、本丸の遺構とされる湖中石垣の周辺から、密集した石や礫(れき)が新たに見つかりました。 周辺から信楽焼のすり鉢や天目茶わんなどが採取され、ほとんどが坂本城が存続した16世紀の物だったことから、城の本丸遺構と関係が深く、船着き場や防波堤のような施設だった可能性があるとの事。 |
| ● | 女王卑弥呼(ひみこ)が治めた邪馬台国の有力候補地である奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で3世紀前半とみられる犬の骨が出土。市教育委員会と市纒向学研究センターが骨格から精密に復元した茶とグレーの色違いの2匹の模型を製作し公開しました。 |
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| ● | 佐渡市の加茂湖周辺の丘陵に、古墳時代前期(4世紀)の築造とみられる前方後円墳が2基あることが分かりました。 佐渡市での前方後円墳の発見は初めてで、2020年に発見されて日本海側沿岸部で最北だった角田浜妙光寺山古墳(新潟市西蒲区)よりも北に位置します。 大和政権との強固な関係がうかがえる発見との事。 |
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| 5月 | ● | 戦国初の天下人と称される三好長慶(参照>>)の京都での拠点とされる西院城に関連する建物跡が見つかりました。 これまで絵図や文献の記録に残る城の描写しかなかった西院城関連の遺構が確認されたのは初めて。 |
| ● | 広島県廿日市(はつかいち)市にある冠(かんむり)遺跡の発掘調査で出土した石器群が、放射性炭素(C14)年代測定で4万2300年前のものであることが判明しました。 これらの石器群には、中国などで出土した中期旧石器時代の石器と同じ特徴があり、国内では3万8000年前以降の後期旧石器時代の遺跡と石器が多数見つかっており、この時期に日本列島に人類が到来したという説が有力でしたが、今回の成果はこの通説の見直しにつながる可能性があるようです。 |
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| 6月 | ● | 堺市や国学院大などの調査で、国内最大の前方後円墳で、宮内庁が仁徳天皇陵として管理する大山古墳の副葬品として、金メッキのさやに入った鉄製ナイフ「金銅装刀子」や甲冑の破片を確認されました。 大山古墳で実物として確認できる唯一の副葬品との事。 |
| ● | 飛鳥時代の588年に建設が始まった日本初の本格的仏教寺院・飛鳥寺の旧境内地(奈良県明日香村)の発掘調査で、建物の装飾に使われる青銅製の「風鐸(ふうたく)」の一部分が見つかりました。 製法などから創建当初の国内最古級の風鐸の可能性があります。 |
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| 7月 | ● | 慶長十六年(1611年)に築城された弘前城は現在の天守が造られた文化七年(1810年)を含めて3度、天守台付近で大規模な造り替えがあったことが青森県弘前市による発掘調査で分かりました。 造り替えは文献等では確認されていましたが、遺構が見つかるのは初めてで江戸時代の異なる2時期の建物跡などが見つかったと言います。 |
| ● | 奈良県立橿原考古学研究所が奈良市の平城京跡の発掘調査で、瓦などを南北15mにわたって敷き詰めた遺構が見つかった事を発表しました。 遺構は建物の基底部分と推定され、複数の別の建物跡が取り囲むように並ぶのも確認…文献などで伝わっていない奈良時代の未知の寺院跡である可能性があるようです。 |
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| ● | 金沢市埋蔵文化財センターは、同市の南新保ゴマヂマチ遺跡の前方後方墳2基から、祭祀に用いられた笠形の木製遺物「木製埴輪」が出土したと発表しました。 笠形の出土は北陸3県では初めてで、前方後方墳からの出土は国内初。 国内最古の事例で「従来考えられていた前方後方墳の祭祀形態に一石を投じる発見」との事。 |
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| 8月 | ● | 戦国時代に豊臣秀吉による兵糧攻めの舞台となった鳥取城で(参照>>)、秀吉が自らの本陣と鳥取城の間の山中にめぐらせた空堀の総延長は、これまで約700mと考えられていましたが、実際は約1000mに及ぶことが鳥取市教育委員会の最新の調査で分かりました。 |
| ● | 奈良県田原本町にある弥生時代の大環濠(かんごう)集落跡の「唐古(からこ)・鍵(かぎ)遺跡」から、新たに県内最古級となる弥生中期末~後期初めごろの鉄製品が見つかりました。 | |
| 9月 | ● | 岡山県古代吉備文化財センターは同県総社市の国史跡・備中国分尼寺跡の発掘調査で、塔の遺構を確認した事を発表しました。 寺は奈良時代の8世紀の創建ですが、出土瓦の年代から塔は平安時代中期の10世紀に増設されたと考えられるとの事。 |
| ● | 天皇家の御寺として知られる泉涌寺(京都市東山区)で、境内の「開山堂」の解体修理に伴う発掘調査で人骨が見つかったと発表しました。 中国の宋風仏教を導入したとされる鎌倉時代の僧侶で、寺の開祖=俊じょうの遺骨の可能性が高いとの事。 |
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| 10月 | ● | 長崎県松浦市は鎌倉時代の元寇(参照>>)の遺物が数多く見つかっている鷹島沖の「鷹島海底遺跡」で進めていた沈没船の継続調査で、新たに船の背骨に当たる竜骨(キール)の一部などを確認しました。 その一方で、目標だった船体の規模は残念ながら把握できず、来年度以降の調査を続けたいとしています。 |
| ● | 奈良時代に聖武天皇が造営し、「幻の都」とも呼ばれる恭仁(くに)宮跡(京都府木津川市)(参照>>)で、天皇らが住んだ区画から建物の跡が新たに見つかりました。 3年余りで役割を終えた宮の実態解明につながる貴重な成果といえそうです。 |
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| 11月 | ● | 東大寺(奈良市)の講堂跡での初の発掘調査で、講堂南側には幅45mにわたって階段があったことが分かりました。 建物の土台は東西約61m、南北約36mと巨大な規模とみられることも判明し、僧侶が暮らす僧坊と、講堂を結ぶ軒廊の一部も見つかっています。 |
| ● | 琵琶湖の葛籠尾崎(つづらおざき)湖底遺跡(滋賀県長浜市)で、1万年以上前のものとみられる縄文土器がほぼ完全な形で残っている様子が確認されました。 最新鋭の水中スキャナーを使った手法が漆黒の湖底の3D把握を可能にし、調査の難易度が高い各地の水中遺跡の解明にも大きく寄与しそうです。 |
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| ● | 日本初の本格的な都とされる奈良県橿原市の藤原京(参照>>)の中枢部にあたる藤原宮跡で、天皇が元日朝賀などの重要儀式の際に出御する大極殿(だいごくでん)院の四方を囲んだ回廊のうち、西面回廊と西門の痕跡が見つかりました。 これまでの調査結果と合わせると大極殿院の規模が確定した事になり、飛鳥時代の日本列島に高い造営技術があった事が証明された形となります。 |
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| 12月 | ● | 国史跡指定を目指して発掘調査を進めている岐阜県恵那市明智町の明知城跡の中心部の「本丸」と南側の「出丸」で、17世紀初頭の石垣が見つかりました。 明知城は自然の地形を巧みに利用した山城で、これまでは石垣はないと考えられていたそうです。 |
| ● | 福島県双葉町新山清戸迫の「清戸迫横穴墓群」にある「83号横穴墓」(6世紀後半~7世紀前半)で、人や動物、刀などの武器を描いた彩色壁画が発見されました。 すでに彩色壁画が見つかっている付近の「清戸迫横穴(76号横穴墓)」に次ぐ発見で、具象的な彩色壁画が同じ横穴墓群で複数確認できたのは東日本では初との事。 |
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| ● | 宮内庁は「垂仁天皇陵」として管理する宝来山古墳(奈良市)について、外堤部分の発掘現場を初めて公開しました。 発掘では築造当時の遺構は見つからず、幕末以降とみられる防水工事の跡を確認したとの事。 ![]() |
こうして見ると、昨年も様々な新発見がありましたね~
新しい発見があり、歴史がどんどん更新されていく事はウレシイ事です。
令和の今になっても、「日本初」や「日本最古」の発見や発掘があるのは、ホントすごいですね。
これは、あくまでも私見ではありますが、
1500年ほど前(たぶん大化の改新の頃?)から一つの王朝でつながっている日本の歴史は、世界でも特別だと思います。
何年か前の大河の脚本家の方?が
「日本でも、もっと自由な発想で歴史ドラマを造っても良いと思う」
的な事をおっしゃって、外国のドラマのような雰囲気の1年になってしまった事がありましたが
その自由な発想に制限がかかる要因の一つが、日本の歴史にあると私は思っています。
(↑あくまで個人の意見です)
世界中のほとんどの国の歴史が、前政権をぶっ潰した新しい政権が新しい王を立ち上げ、何なら民族ごと取って代って新しい国となっているわけで、そこには前政権の歴史は含まれず、新しい政権によって書き換えられた歴史となってしまうわけで。。。
もちろん、日本でも多少はあります。
なんせ、「勝てば官軍、負ければ賊軍」ですからね。
あの本能寺の変が、信長が死んだ事以外は謎だらけで、その動機も曖昧で、
なんなら、
「本当に明智がやったの?」
「黒幕いないの?」
てな話になるのは、やはり、何らかの記録が抹消されているからなのでしょう。
(ま、そのへんの推理合戦こそが楽しいですが)
しかし一方で、1000年前に日本のトップになった人=藤原道長の自筆の日記が残っていたり、
同じくトップの織田信長&豊臣秀吉&徳川家康などの手紙が残っていたり、
…と、焚書坑儒が当たり前の世界の歴史の中では、やはり日本の一次資料の現存率は特別な気がします。
なので、ドラマや小説と言えど、あまりに荒唐無稽な発想すると矛盾が出て来るので、
ひょっとしたらあるかも知れない展開に落とし込まねば、楽しめないのでしょうね~
良くも悪くも、日本の歴史のすべてが現在につながっているわけですから。。。
そんな日本の歴史は、大事に大事に次世代へと残して行きたいですね~
ご先祖様から受け継いだ歴史を、また新たな年につないで行ける幸せを感じながら・・・
ではでは…
🎍皆様、良いお年をお迎えくださいませ🎍
🌄今年一年、本当にありがとうございました🌅
🎌そして…来年も、よろしくお願いします🎌
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