日本史の新発見&発掘…歴史のニュース2023年総まとめ
色々あった2023年も、いよいよ終わりに近づきましたが、今年も様々な新発見や発掘がありました。
…てな事で、
とりあえずは一年の締めくくりとして、今年に報じられた様々な日本史の発見や発掘のニュースを総まとめにして振り返ってみたいと思います。
ただ、いつものように・・・
市井の歴史好きである茶々の知り得るところのニュースでありますので、あくまで一般に公表&公開された公共性のある物である事、
また、私が関西在住という事もあっての地域性(他の場所のニュースはなかなか知り得ない)・・・さらにそこに個人的な好みも加わっておりますので、少々、内容に片寄りがあるかも知れませんが、そこのところは、「今日は何の日?徒然日記」独自の注目歴史ニュースという事で、
ご理解くださいませo(_ _)oペコ
1月 | ● | 武田信玄が上杉謙信と戦った川中島の戦い(参照>>)の中で信玄の書状が京都の古書店から見つかりました。 地元の武士の武功をたたえる内容の物で寺尾刑部少輔に宛てた4月25日の日付となっており(年号は不明)、出家して信玄を名乗る前の「晴信」の署名と花押が確認でき、最前線で戦った地元の武士の動向がうかがい知れる貴重な史料との事。 |
● | 奈良県の平城京跡で奈良~平安時代の小型建物1棟が見つかりました。 現場は平城宮の正門=朱雀門(参照>>)の南側に位置した古代の一等地で公的施設の存在が想定されていましたが、意外に建物規模は小さい可能性が高まりました。 |
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● | 発掘調査が進められていた鎮西山城跡(佐賀県三養基郡上峰町)で、斜面のある土地に平たん面を確保する技術を使った中世山城の高度な土木技術を示す遺構が見つかりました。 当時の築城方法が分かる非常に重要な発見との事。 |
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● | 奈良市の国内最大の円墳である富雄丸山古墳で盾形銅鏡と蛇行剣が見つかりました。 鏡は出土類例のない形状や文様をもった青銅製で剣は全長2m37cmの国内最大&最古となる鉄製。 「古墳時代の金属工芸の最高傑作」と評価されています。 |
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2月 | ● | 高畑遺跡(福岡市博多区)で弥生時代後期前半の青銅武器「広形銅戈」の鋳型の両面が発見されました。 鋳型は表面と裏面ではさみ、間に溶かした青銅を流し込む仕組みで、セットで見つかるのは全国で初めてだそうです。 |
● | 与楽鑵子塚古墳(ようらくかんすづかこふん=奈良県高取町)の横穴式石室で確認された火の痕跡が、木棺の火葬によるものとみられる事が判明… 「渡来人が火葬という新しい文化をもってきたことを表す材料」と(参照>>)との事。 |
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● | 岐阜城跡の発掘調査で織田信長が築いたとみられる天守台の石垣の一部を新たに確認…(参照>>) 今回の発見で天守台の西辺の長さが約14mであることが判明し、天守の規模や構造の解明につながるとみられています。 |
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3月 | ● | 戸ノ内古墳(茨城県東海村)から、祭祀で使われたと推測される男女それぞれ1体の古墳時代後期=6世紀ごろの作とみられる埴輪が2体が出土しました。 2体のうち男性をかたどった埴輪は、高さ39cm幅24cmで上半身をかたどっているが腕はなく目・鼻・口がくっきり表現されていると言います。 |
● | 大鳥居宇山平遺跡(山梨県)にて県内2つ目で最大規模の前方後方墳が見つかり、県内の古墳の歴史を考える貴重な事例。 4世紀後半から5世紀ごろに作られたとみられ、旧豊富村の記録でなくなったとされていた二子塚古墳ではないか?との事。 |
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4月 | ● | 石清水八幡宮(京都府八幡市)で、これまで知られていない織田信長の朱印状の写しが見つかりました。 日付は永禄十二年(1569年)3月=本圀寺の変(参照>>)の2ヶ月後にあたり、内容は石清水八幡宮境内にあった宿場町での軍勢による乱暴や放火など地域内での禁止事項を通知した物…信長の留守に不安を感じた住民側からの要望で制定されたと考えられるとの事。 |
● | 山形県鶴岡市にて小牧長久手の戦い(参照>>)の直後に秀吉との仲を取り持とうとした織田信雄から徳川家康に宛てた書状が発見されました。 専門家は「信雄が家康に秀吉への従属を懸命に説得しているすごい史料の発見」とし、この頃の信雄が家康に対し平和裏に秀吉に臣従するよう仲介している事がわかったとの事。 |
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5月 | ● | 鹿児島県さつま町の虎居城跡で大きな石を置いた庭園と考えられる遺構が発掘されました。 専門家は「戦闘の場である山城で、文化的な施設の庭園が見つかるのは全国でも少ない。鹿児島の城の新たな側面を知る貴重な成果」と注目してい ます。 |
● | 吉野ヶ里遺跡(佐賀県神埼市)で弥生時代後期(2世紀後半~3世紀中頃)に作られたとみられる 石棺墓が見つかりました。 規模などから有力者が埋葬された可能性があるとみられます。 |
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6月 | ● | 大門池南遺跡(滋賀県多賀町)から平安時代初期に作られた銅銭が15枚見つかりました。 同時に役人が身につけたとされるベルトの飾りも出土したことなどから、有力者の墓と推定さています。 |
● | 日本で初めての瓦ぶき宮殿が建てられた藤原宮(奈良県橿原市)(参照>>)跡に近い日高山瓦窯で新たに窯跡3基が見つかりました。 合計6基の瓦窯が並び、宮の造営初期に瓦を供給した大規模拠点とみられる窯跡では焼成部のほか、炎を起こす燃焼部、煙突に当たる煙道などがあったようです。 藤原宮の瓦と言えばコチラも→「天平人の忘れ物」参照>> |
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7月 | ● | 国宝姫路城(兵庫県姫路市)の西側を流れる船場川沿いで、治水の役割があったとみられる外堀の石垣が見つかりました。 城下町への越水を防ぐため、堀の両側に石を積み上げて堤防を造ったとみられ、外敵の侵入を防ぐだけでなく、防災も考慮して築城したことが分かるとか |
● | 群馬県安中市の旧安中高校敷地で飛鳥時代に畿内と東国を結んだ東山道と推定される道路遺構と、奈良時代に建てられた公的な建物跡2棟を発見されました。 市内で東山道の遺構が見つかったのは初めてです。 道路の幅は約10mで、道路の両側に幅70cm程度の側溝が掘られていたとの事で、造られたのは8世紀前半以前の飛鳥時代と見られています。 |
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8月 | ● | 明治時代に建てられた兵庫県南あわじ市の福良丙の門崎(とざき)砲台跡で、大砲を守るドーム形の構造物が見つかりました。 穹窖(きゅうこう)砲台と呼ばれる様式で、奥行きは約14mあり同式では国内最大級…当時では異例の屋根のある形式は貴重だとの事 |
● | ♪吾健にして十のみかんをくひつくす♪ という正岡子規の(参照>>)の新出句が見つかりました。 句は明治三十年(1897年)の病に伏していた時期の物ですが、まだまだ食欲旺盛で元気なことを伝える内容で、自宅を訪れた弟子や客らが一筆を寄せる「歳旦帳」と呼ばれる冊子に書かれ、たくさんのみかんの絵も添えられており、筆跡などから自筆と判断されました。 |
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9月 | ● | 世界遺産・法隆寺(奈良県斑鳩町)の参道脇の観光バス駐車場にある円形の植え込みが、6世紀後半につくられた古墳だったことが発掘調査で確認されました。 内部からは横穴式石室が見つかり、石が抜き取られていたことから、寺の建設などに再利用された可能性もあるとの事。 この形に整備された時期は不明で、一見すると普通の植え込みにしか見えなかったそうです。 |
● | 明王院(みょうおういん=広島県福山市草戸町)にて南北朝時代の1348年に建立された五重塔に、おそらく同時期にまつられたであろう本尊=木造弥勒菩薩坐像(もくぞうみろくぼさつざぞう)の頭の中から、折り畳まれた和紙のような紙の束が見つかりました。 何かが墨書されており、今後、慎重に取り出して内容を調べるとの事。 |
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● | 平安京の中枢・平安宮を構成する役所の一つである中務省(なかつかさしょう)跡(京都市上京区)から、こぶし大の石と瓦片を詰めた地盤整備(地業)跡が出土しました。 一緒に出てきた土器などから、豊臣秀吉が平安宮内に築き、文禄四年(1595年)に廃城になった聚楽第(参照>>)の築城に伴う遺構と推測されます。 |
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10月 | ● | 織田信長が築城した滋賀県の安土城にて、初めてとなる天主北側の発掘調査が始まりました。 安土城は本能寺の変のあと焼失(参照>>)して全体像のわからず「幻の城」ともいわれている中で天主北側の石垣の構造の解明や、木材などの天主にかかわる遺物の発見に期待が寄せられています。 |
● | 伊勢神宮に仕える皇女(斎王)が過ごした斎宮跡(三重県明和町)にて奈良時代に建てられた宮殿の一部とみられる建物遺構が見つかりました。 斎宮跡で奈良時代の宮殿の一部が見つかるのは初めてで、発見された建物としては最大規模… 聖武天皇の皇女=井上内親王らが住んでいた正殿の可能性が高いとの事。 |
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● | 福井県越前町織田の劔神社境内の杉の花遺跡で平安時代末期以前の大型掘っ立て柱建物跡が見つかりました。 1辺約1.3mの方形の柱穴が等間隔に並び、神社の社殿だった可能性があるとの事。 |
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● | 古事記の編さん者の太安万侶(参照>>)の墓が安万侶の死後20年以上たってからつくられた可能性があることが明らかになりました。 研究員は「墓がつくられるまでの間、安万侶は、別の場所に埋葬されていたのではないか」とみています。 |
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11月 | ● | 室町時代の水墨画家=雪舟が国宝の「天橋立図」に描いたとみられる建物の遺構が、宮津市で見つかりました。 幅が最大およそ1mの建物の基礎に使われていた礎石が5つ見つかり、周辺で室町時代の土器なども見つかった事から、雪舟が1501年頃に描いた「天橋立図」の中の、金堂の後ろにある僧侶が生活する「僧坊」の遺構である可能性が高いとみられます。 |
● | 仙台空襲などでなくなったため、正確な位置が分かっていなかった仙台城跡の大手門の位置を推定する手がかりとなる遺構が発見されました。 今回、門の柱を支えるために敷き詰められたと考えられる石の跡や、大手門の周囲に掘られた側溝とみられる跡が見つかり、位置を推定する手がかりとなるとの事。 |
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● | 奈良県明日香村の飛鳥宮跡にて天武天皇や持統天皇の宮殿跡よりさらに古い時代の塀の跡が見つかりました。 宮殿があった場所に最初につくられた飛鳥岡本宮(あすかおかもとのみや)の塀の可能性が高いと注目… 塀の跡は、天武&持統時代に東西南北を軸に建てられた建物や塀などの跡とは異なり、北東から南西の方向に建てられたとみられ、さらに古い時代のものと考えられます |
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● | 新潟県村上市にある約4000年前の縄文時代後期の集落跡=上野(かみの)遺跡で、焼けた人骨を意図的に並べて埋葬していたことが明らかになりました。 縄文人が骨を別の場所で焼き、規則正しく埋葬した事例は全国的にも珍しいと言います。 |
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12月 | ● | 福山城(広島県福山市丸之内)の天守東側から、天守北壁の防御のために張られていたとみられる鉄板が出土しました。 城内での同様の鉄板の発見は初めて。 |
● | 今井堂天満神社(奈良市日笠町)で見つかった神社最古(寛政6年=1794年)となる絵馬の復元が完成… 風化が激しくこれまで馬の絵だと思われていた絵馬に、神社ゆかりの今井兼平(参照>>)の「安宅(あたか)の関(歌舞伎=勧進帳)」での場面が描かれていた事が判明しました。 |
こうして見ると、今年も様々な新発見がありましたね。
個人的に気になるニュースは~
やはり国宝級の発見として大々的なニュースになった奈良県の富雄丸山古墳から出土した蛇行剣ですかね。
残念ながら、私もニュース映像しか見てませんが、かなり大きな蛇行剣でしたね~
なんとなく、神武天皇と戦った記紀神話に出て来るトミノナガスネヒコ(登美能那賀須泥毘古・長髄彦)(参照>>)が持ってるとこ想像したりなんかして(#^o^#)
(富雄だけに…)
あとは、あれだけ何度も行っておきながら、まったく気づかなかった法隆寺(参照(別窓で)>>)駐車場の古墳。。。
まぁ、茶々は、基本的に社寺は徒歩で巡るタイプなので駐車場がどこにあるか?も知りませんでしたから。。。
もちろん、戦国大好きとしては織田信雄の書状や織田信長の朱印状にも興味津々!
ようやく、アレ(優勝ではありませんww)も明けて、どこにでも行けるようになったので、さすがのインドア派な茶々も、来年こそは、ぼちぼちながらもウロウロしに行かなアカンですな~
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てな事で、今年一年やってまいりましたが、
いつも閲覧してくださる皆さま。。。
今年一年、本当にありがとうございました・・・
良いお年をお迎えくださいませm(_ _)m
そして、来年も、よろしくお願いします
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